静岡県民は、穏やかで和を貴び、概して公平を重んずる方達です。
まるで巨人さんのように。
動じず静かで、生ある全てに愛を注ぐ存在です。
…前回のアレはなんだと言われそうですが、前の記事ではちょっとデストロイモードに入ってましたね。
あまりに愚かな人々を目にすると、やっぱり人類なんか滅ぼしてしまえという、前世の記憶が時折蘇るのです。
いかんいかん。今世の私は愛の存在です。
××は呻吟するほどの重労働に一生苦しめ!!とか言いませんよ(^◇^;)
さて、今回は自分語りです。
私とキリスト教との出会いはピチピチのハタチの頃。(正確にはイースターのイベントで小学校の頃にも教会へ行きましたが)
韓国に留学していた私は、クリスチャンと出会う機会に恵まれました。下宿(ハスク)に住んでいましたが、下宿のおばちゃんも純福音教会に帰依して、熱心に拝んでいました。
ちなみに純福音教会は東新宿にも支部があり、熱心な礼拝の様子をチラ見した事があります。泣いている信者、アジテーションのような牧師さん。完璧にカ◯トだなぁと思いました。
そんな、どれだけ誘われても教会には行く気がしなかった私でしたが、故郷が近い日本人のクリスチャンに出会ったのです。
彼は目の輝きからして違いました。多くの韓国人達の心に神はいなくとも、彼の心は神と共にある。という事を漠然と感じました。
ICU卒業生の陰陽師の方曰く、「西洋キリスト教は99パーセント邪教だよ」とのこと。
韓国の場合は、限りなく100%に近いです。
なにせ、礼拝をしているすぐ後ろで、献金箱から現金を取り出して、数えているのです。
今やること!!?!?
ここでやる事かそれ?!?!?
なんで別室でやらないのか。
このパンはキリストの肉で、ワインはキリストの血で…とか言ってる真後ろで、ソレです。
ダメだこいつら、というのが私の感想で、今も変わらない結論です。
純福音はカルトとして有名ですが、比較的正統と言われるオンヌリ教会の本部からして、ソレです。
思えば彼もキリスト教にマークされている結果だと言えますが、どっこいそこは日本人というか、神に選ばれた存在。強く生きているようです。
洗礼するタイミングが無かったので、パンもワインも食べませんでしたが、週末の礼拝や、日本語礼拝の集まりにはよく参加しました。日本人駐在員の子供達の面倒を見るのは、乾燥しきったソウルという街の中において、数少ない潤いとなりました。
帰国し、幾年が過ぎ、セーラー服に身を包んだころ。防衛省に呼ばれる直前、私は青森県大湊に赴任しおりました。
豊かな陸奥湾の水面に照る月を眺める日々の中、揚げたてのふらいぼうるウメェ!とか言ったりしていると、近くに教会がある事を知りました。なぜか、迷わず行ってみました。
そこは韓国でよく見た教会の光景とは、全く違うものでした。
ちんまりとした十字架だけが特徴的な、一見すると完全に民家。そこへ近隣のおじさんおばさん、ALTのアメリカ人、さらにはおじいちゃんおばあちゃんまでが、十数人という規模で集まり、真摯に神様とキリスト様について学びたいという優しい気持ちに満ちた、まさに学び舎と呼べるものでした。
そこでは週末ごとに、一人当たり500円ほどを持ち寄り、手作りの昼食を共にして、神からの恵みを分け合っているという実感を得ることができました。
葬式仏教、創価学会や韓国キリスト教のように、拝金主義とは無縁の、静かで豊かな時間が流れていました。
さすが、キリストの故郷だなと、今となっては納得いたします。
東北は、人類史始まって以来、歴代のキリストのうち何名かが生まれた地ですから。
写真は、秋田県某所のストーンサークル。東北陰陽師修行の際に発見。起動するとキリスト様が降臨されました。
今回は、なんだか優しい気分だったので、優しい記事になりましたね。
ただ、必ずまたぞろデストロイモードが発動する事でしょう。いち早く日本人には魂を取り戻してもらって、全ての存在に愛を与える人になって頂きましょう。
さもないと人類滅亡側に回ってしまいますよψ(`∇´)ψ