宮崎へ~コリアウォッチ番外編、日本からみる朝鮮三国時代~

韓国がGSOMIAを脱退したということで、軍事のぐの字もしらないコメンテーター達がテレビを賑やかしております今日この頃ですが。

日本と韓国朝鮮とのすれ違いは数千年前から遡るとされ、藤原氏の家祖は百済人の豊鐘であり、その頃からまるで藤の蔓のように天皇家朝鮮人が巣くっている、などという何十年前から言ってんだという陰謀論が最近になって某掲示板で火が付いたりと、やれやれという感じです。

 

 

そもそも情報の共有って…してないでしょ

情報員としての経験から、自衛隊の陸海空ですら情報の共有、統合運用なんてうそっぱちなのに、多国間で情報の共有など行われるはずがないんです。ゆえに日本に情報を吸い上げられるだけ、監視されるだけの韓国としては、これ以上つきあう必要はないというのは至極まっとうな帰結です。

海幕情報課時代に地下四階の当直に立っていたとき、海保からファックスが来ることはあれ、他幕(陸、空)との連絡は皆無であり、海自内の部隊においてもカラーの違いを漠然と感じていました。今になって思えばあれは海自内部の監視の為にあげさせていたんだという報告をしていたのが思い当たります。

海自の中ですら一枚岩ではなく、陸自なんかはもっとカオスな状況です。噂ですが、創価学会閥と立正佼成会閥の対立もあるとか(-_-;)

大きな企業や組織に属した経験の無い方は、ロシアはこうだアメリカはこうだ、何かも知らないのにCIAがーとかQanonがー天皇家がーとか一括りですが、組織というものがそんな簡単な訳がないんですね。

さすがに統合情報部や分析部で勤務した経験はないため、中枢の中枢では緊密な情報交換が行われているのかもしれません、あくまでも私の経験からくる考察ですので経験者の方はご指摘よろしくお願いします(^▽^)/

 

 

 

 

 

 

さて、あの8月12日を宮崎にて迎えました。

そこで韓国語に長けた方には是非オススメしたいポッドキャストがありますのでご紹介します。すこし古いものですが

http://m.podbbang.com/ch/episode/8383?e=21952836

경향신문-이기환의-흔적의-역사 (itunesでも購読可能です)

京郷新聞 イ・ギファンの痕跡の歴史 第78回 地震に揺れる熊本に秘められた朝鮮の歴史

考古学担当の新聞記者であるイ・ギファン氏は、記者というフィールドを活かし徹底した現地調査と確実な証拠を基に朝鮮半島の輝かしい歴史をロマンティックな考察を交えつつ展開します。静かな語り口と素朴な人柄でつい聞き入ってしまう魅力のある方で、現在は250回を超すポッドキャストとしては長寿を記録しており武田鉄矢の三枚おろし、ひげ千夜一夜を超えるたのしみコンテンツです。私にとっては。

 

内容を要約すると、

 

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2016年の地震で崩れた熊本城、おりしもその時沖縄に来ていたギファン氏には地震の影響は無く、家族からは心配されるがその縁があって熊本城にフォーカスをあてる。熊本城は韓国にとっても無関係では無いという導入からスタート、熊本には古くから百済人が住み、玉名の船山古墳には百済様式の金銅製の冠や沓が多数出土し、百済のかつての都である現在の公州、かつての熊津(現代漢字読みではウンジン、百済語ではコマナルと読んだとされる)との地名上の痕跡も鑑み、熊本は百済の行政地区の一つだったという説もあると紹介。熊本のお隣の宮崎県には禎嘉王(ていかおう)정가왕という百済亡命貴族が今も祀られるいわゆる百済村があり(美郷町南郷神門ミカド村)、旧暦師走に行われるお祭りも参加したとか。

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ミカド村に寄贈された百済様式の金銅製香炉。送り主は元KCIA長官の金鐘泌キムジョンピルさん。あの人か…というかんじ。

 

百済の気風を感じる宮崎県に訪れる韓国人達の旅行荷物に山と積まれたゴルフバッグに少しがっかりしつつも、体感距離としては空港から2時間とは思えないというほどの山道を延々と進んだ先のど田舎で、半島を逃れた王子は何を思ったのかとロマンを抱かせられる。

一説には、百済ラストエンペラー義慈王(ウィジャワン)の王子であり日本に留学に来ていた扶余豊璋(正確には百済復興軍を率いるために百済に戻り豊王として即位したため、こちらが最後の王とも)のひ孫にあたるという説もあるとか。

そして熊本城といえば、築城したのは加藤清正※。

朝鮮語読みでは가등청정ガドゥンチョンジョンとして悪名高く、にっくき朝鮮侵略豊臣軍の急先鋒として韓国の歴史教育には必ず登場するそうです。

加藤清正朝鮮半島にも数十の城を作るほどの築城の達人であり、今でも倭城(日本式城塞)が残っているほどですが、その加藤清正が辛酸を舐めたのが蔚山城防衛戦だった。

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※現在は蔚山市内ロッテ百貨店から北へ2㎞弱、川を渡ったところに鶴城(ハクソン)公園として整備されています。特大帆立貝型古墳かな?と思って撮影。清正築城とはつゆしらず!!

難航不落の蔚山城へ、加藤軍の補給路を絶った朝鮮と中国・明の連合軍が攻城をしかけるもなんとか持ちこたえる。しかし水の補給が間に合わず、軍馬を殺しその血を飲み、こっそり城外に出て血の混じった川の水を飲み、そこを待ち伏せていた連合軍に一網打尽にされ、かと思えばどこから現れたのか場内に水売りが現れ、水を飲むために銀を払い、銀の無い兵士は水を飲んだ兵士の小便を飲んだという惨憺たる有様だったそうな。

補給の重要さを骨身にしみて感じた加藤清正は、熊本城築城の際に数百の井戸を掘り、本来は稲藁をつめるところの畳床に芋がらをしきつめ、銀杏の木を植えたという。

そして言い伝えによると、この銀杏の木が天守閣ほどに高く成長したころ、この国に動乱がおきるであろうと加藤清正が予言したそうな。

かくして銀杏の木が天を衝くほどに伸びたころ、西南戦争がおきるのである。新政府に不平を抱いた士族たちを率いた西郷隆盛をして、薩摩隼人の参戦に及び腰であった明治政府軍を破れなかったのは、上述のとおりの熊本城の堅牢さ、清正公の無念からくるものであったことは間違いないだろう。西郷隆盛曰く、私は新政府軍に負けたにあらず、清正公に負けたのだ、とこぼしたとか。

 

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…以上が約30分にわたるポッドキャストの要約ですが、西郷さんが征韓論に触れられずに韓国のメディアに取り上げられる例は極めて珍しい。一見すると熊本城から、百済亡命王族、蔚山西郷隆盛と、7世紀から近代まで、ギファン氏らしくない、多少とりとめのない内容のように聞こえますが、ギファン氏は何に導かれたのか、今回の宮崎ミッションにやけにリンクした内容となっています(^▽^;)

 

海は隔てるもの…?繋ぐもの…!?

というのも、冒頭で述べた朝鮮と日本との対立は数千年にも渡るという定型句…

果たして本当かいな!?というところであります。

そもそも国境なんてものは目にも見えなければ、近代になって策定された、至極あやふやなものであると思うんです。

韓国海軍で船乗りをしていた方とも意見が一致したのは、世界の海軍はワンワールドだという点です。

各国の陸軍や空軍はそれぞれ服装が違っても、海軍は世界でも概して同じです。兵卒はセーラー服、幹部はダブルの上衣、夏は真っ白な上下というのはかなりの国で共通する点です。世界とつながる海上で事故がおきぬよう、航海法は万国共通です。

国同士がいくらもめようが、俺たちは俺たち!と軍艦は入港させるわ、幹部同士の交流もするのが海軍。さすがに近年は旭日旗自衛官旗)を掲げての入港に世間がうるさく、''めんどくせーなぁ、お互い大変やね''とあきれ顔でしょう。まさに、旭日旗を口実に戦争を煽る陸軍系と海軍系の対立といえます。

おもえば縄文時代に既に新潟の糸魚川で採れる黒曜石が北海道で発掘された、つまり交易をしていたという程ですから、海を渡る男たちは我々の想像を超えて世界にネットワークを広げていたというのは考えすぎではないはずです。

むしろ、宗像教授よろしく、すべての文化文明は最終的に日本にたどりつくという、一元的な文明一方通行説のほうが無理がある、と思えてなりません。内陸のスイスになまはげそっくりなお祭りがあったり、童話の赤ずきんちゃんのオリジナルストーリーと日本の昔話が酷似しているだとか、例は枚挙に暇がありません。

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シンデレラまで日本に伝わってた…?

 

 

 

そっくり歴史、それは何故!!

そしてそれは歴史にとってもです。

ある歴史の専門家から聞いた話ですと、大化の改新の嚆矢である壬申の乱は、同時代の新羅にヒドンの乱(私でも知らなかった💦)というそっくりな逸話があり、それをそのまま日本に持ってきたものではないか。だとか、高句麗の王家の系図とホツマツタエにおける神武以前の日本の系図が全く同じだとか。

 また、現存されていないとされている日本書紀の原典が京都に保管されていて、それを直接見たという方から聞いたところ、日本語で書かれていなかった。神代文字で書かれていたらしい、とも仰っていました。冷泉家に保管され、阿比留一族が代々管理してたと言ったかな。阿比留といえば対馬、そしてアヒル文字ですね(ハングルそっくり)

真贋を見極める考古学の世界で禄を食んでいるその方が、よもや偽情報をつかまされるはずがありませんし、嘘をつくような方でも注目を浴びたいというような人でもありません。

ただ、純粋に歴史が楽しい!!という目の輝きには、説明不要な説得力、そして半端な霊能力を凌駕する力があるんだとつくづく実感しました。邪馬台国の本当の位置を特定したし(^▽^;)

 

要は、欠落した歴史、天皇家における欠史八代や10代~15代あたりの血統の交代、倭国大乱の真実、こういった歴史は朝鮮史、あるいは中国史としてすり替え、白日の下に晒しながらも秘中の秘は隠している。それが歴史の真実ではないでしょうか。

倭国の歴史を知るうえで魏志倭人伝は欠かせない。

同様に、百済滅亡を知るうえで日本書紀は欠かせないのです。

 

 

 

 

何を隠そう、私がかつて勤務していた静岡空港周辺に、中国三国時代の魏の王様、曹操さんの魂が封印されていました(^▽^;)ナンデー

大井海軍飛行隊跡地を調査しよう、という事だったのですが、空港内のとある盛り土(古墳)(訂正。牧之原お茶ミュージアム栄西の像でした)からお出になられた突然の曹操さんにビックリを通り越して完全に想定外。そのまま忘れかけて(嘘ですよ笑)いたんですが、今回7-8月のミッションのためベトナムから一時帰国して、なんとなく愛知県南東部の阿志神社に行ってみたら事態が加速。

遠州三河地域は、かつての魏、呉、蜀でしたとさ、メデタシメデタシ(!?)

http://maakata.holy.jp/2019/07/12/425/

 

という事でしたので、やっぱり百済新羅高句麗の朝鮮三国時代も、やはり日本の歴史なんですね、これが。

 

どういう事やねんという方への回答として次回、コリアウォッチ最新作、疾れ竜神丸!完結編でお会いしましょう。

なるべく今月中にはUPします…