https://yoshikawahiko.hatenablog.com/entry/2021/06/14/170937
二日目↑
最終日です。今日はまた一波乱あるんですよ。
昨日は酒も飲んだし街中で車中泊というのもバカみたいなので安いビジネスホテルに泊まったんですが、3000円にしては中々オススメでした。というのも
コインランドリーエリアが(チト臭うけど)広くとってあり、本が色々と置いてあって良い感じでした。乾燥だ何だでエレベーター何往復もするのが嫌いな人には助かる。ホテル竜宮とかそんな名前でした。良い感じです。WiFi繋がらないけどね。
本日は静岡市内を東へ西へ。市内の白髭と興津川上流の密集地隊を制覇するという予定で出発。
というか本当に雨ふらねぇな! 暑いよ!!!
下島白髭神社
途中で有東神社という気になる神社があったものの、小山の上にあり見事に駐車スペースが無いため断念。青森の善知鳥(うとう)神社といい昨日宿にした有東木といい、何だろうね。
登呂遺跡を過ぎて海までも割と近い、住宅地の神社。公園も広めにとってあり、これなら子供達も安心して遊べそう。
天羽衣神社
下島から東へ、海沿いを行くと日本平が見えてくる。かつて仲間たちとも久能山東照宮をえっちら登ったものだ。
白鳥処女説話、羽衣伝説は日本中に分布しており、ベトナムにも類例が見られる。ヤマトタケさんを解明する上で避けては通れないテーマでもあります。特にここでは天女を見初めた男の名前が伯梁という言い伝えもある。
蛇塚白髭神社
そこからさらに東へ行くといちご畑が広がり、久能山からそう遠く無いところにも白鬚さんがありました
とにかく荒れ放題で蚊がとんでもなく飛んでるのです。やられ具合では今回でトップでした。さすが久能山。目の前に電波塔建ってるし、そも蛇塚って地名がもう
そうこうしていると地域住民が呼んだらしい市の職員が二人組で来て、ドブ川の草刈りがどうのと話していましたが、神社の事を聞いても蛇塚の由来を聞いても覚束無い様子でそっけない。
感じ悪いなぁと思い、そこから東に謎の庚申塚とデカい蘇鉄があったので、それも周辺をうろついていた老婆二人組に聞いても非常にそっけない。
顔も合わせようとしないしもう一人は強斜視で目線が定まってない。
さすが久能山、邪気まみれ集落だなどと思っていると、この斜面を埋めつくさんばかりのイチゴも何やら神への冒涜目的で推奨されているのではと思えてならない。
こんなところにヘレンケラー何しに来たんでしょうね…
今泉白髭神社
すとろべりぃふぃいるふぉおえゔぁぁああなどと熱唱しながら、皇族も度々訪れる日本平に登り、北側の砂利道を降りるともう清水区、かつては清水市だったエリアです。ちびまる子ちゃんです。
簡素ながら質実剛健な印象。何よりこの眺め、清水港を一望できるこの立地。古代海人族達の勇ましい姿が眼に浮かぶよう
例のごとく拝殿内部は物置と化していましたが、さすが大らかシズオカン。こまけぇこたぁいいんだよ!(そんなベランメェではありません)
見事に神社前の送電線だけに変なアレがついている始末。封じておきたい場所なんですねぇ。
入江白髭神社
車はさらに清水市街地へ。通りの名前がその名の通りしらひげ神社通りという所に大事にされてそうな白鬚さん
猿田彦が隅っこに追いやられていますがしっかり祀られている。また京都賀茂神社に久留米に…陸軍が抑えているのも、さもありなん。
月と6ペンスというセンスの良いバーが隣にあったりと、中々清々しいところに見えて、清水はやはり奥が深い。
興津東白髭神社
市街地を抜け一路由比方面へ。興津川を越えたところの海岸に突き出すような丘陵地帯。薩埵峠の静岡側になります。
かなりもっこり、もはやモッコシとした綺麗な円墳。こんな山自然にできるわけねぇーだろう!と笑ってしまいました。
さて面白いことに、先ほど清水の白鬚でもコッソリ猿田彦が祀ってあったのが、ここでは主祭神なのです。
近くに送電線も無いのに、送電線建設業者が色々と奉納している。遺跡潰しの罪滅ぼしが、太鼓一丁で済むと思うてか。
清地白髭神社
興津川を遡上すること約15分。
山を削って新しい道を作っている真ん前に白髭神社
和田島白髭神社
そこからまた興津川をさかのぼって5分ほど。何やら謎の煙突?が見えてくる。徳利型の配水塔らしい
ここでも猿田彦。もしや興津川の方がオリジナル出雲が濃いのか??
幕白神社
さて、ここが迷う所。今日中にリストアップされた白髭神社を全て回りきれるか、次の幕白神社に行くかどうかで変わってくる。往復40分は痛いが、中部横断道がぶち抜いているエリアも見ておくべきか、と考え、白シリーズ神社に行ってみることに。
興津川の支流である樽川を遡上し、どん詰まったところの集落に鎮座する神社。ここ自体はどうという事ないんですけど、次です
狭長田神社
樽川を通る途中にナビ上に見つけた神社で、なんとなく気になったけど思い出しました。狭長田(さながた)といえば、天孫ニニギを高千穂へと案内した猿田彦が、ウズメと里帰りしたいわば故郷。これは放っておけん。
ホツマツタエ においても、君はツクシの タカチホぞ 我はイセの南 ナカタガワ 汝 我が名を 顕わさば 我も出さん(24アヤ)とある通り、最初に行った白髭神社のある長田という地区もここで猿田彦と繋がってくるわけです。
都合1時間のロスは全く無駄では無かった!!\(^o^)/ワーイ
野茂島白髭神社
再度興津川へと戻り遡上
葛沢白髭神社
さぁ興津川の白鬚密集エリアです。
支流のどん詰まりなんで、まぁ荒れてますよね
西里白髭神社
ここは神社庁のデータにもヒットしなかった神社です
偶然マップで白髭神社を検索していたから見つかったものの、こういうところもあるのでやはり現地へ赴かないと見つからないもんだ。
布沢白髭神社
高山白髭神社
すぐ近くを中部横断道の巨大な陸橋が通っています。ここは重要地点
集落のど真ん中ではなく、川向こうに社殿を作るケースが多い。災害避けの神様ゆえか…?
参拝を終えて降りると集落の町内会長さんが待っていた。明らかに警戒して声をかけてこられた様子だったが、白鬚をあちこち巡っているというと、色々と見せてくださいました。
本殿は白鬚、やはり猿田彦を祀っていて、左側が若高大神、右が牛頭天王とのこと。そして猿田彦というのが
これなんです。一般に言われている天狗のような、赤い顔で鼻の高いサルタヒコというイメージとは結びつかない。どちらかというと竹内宿禰と聞けば納得する印象。
この髪型もちょっと不思議。お団子2つが鬼の角を暗示しているようにも?
他にも色々と独自にお調べなさっているようで、地元神を大切に残したいという町内会長さんの熱意に敬服いたしました。明治の神仏習合や一村一社のドサクサで色々と失くしたり取り違えが出たかもしれないけど、家で大事に守って元どおりにした筈とのこと。
なんでも本殿の戸を勝手に開け撮影しネットに上げる人がいたり、それはまぁいいけど先祖代々の物が持って行かれるのも困るので私に声をかけた、と言うことでした。
戸を開けて御本尊勝手に写真撮るって、その発想は無かった…万策尽きたら私もコッソリ(コラッ)
若高大神というのも興味深い。若といえば2代目だから、タカミムスビ2代目?でも時代的にタカギの皇子のヨロマロさん…?うーむ
そしてさらに、事前の調べでは5社あると思っていた興津川上流の両河内地区には、会長さん曰く白髭が13社もあるということなので…
これはもう行ききらん!!!
と判断いたしました。その気になれば今日中に両河内エリアは全部回れるだろうと思いますが、それやると市内とあと藁科川、天狗山天狗石山まで行けん。もう一泊車中泊するほどのMPも残っていない
と言うことなので…
全部は無理でしたぁ!!!
とここでお伝えしておきます。ここまでお付き合いくださった読者様には申し訳ありません。しかしいつかきっと全制覇します。しかし全制覇したと思っても、まだまだ出てくるでしょうから、神社巡りに終わりなど無いのです、初めから(責任逃れ)。
石川白髭神社
高山から結構な急斜面を下ると清水市街地へ出ます。こんなに登ったんだ!?と思うほどの傾斜。そこから東名清水インターや新東名の取り付け道路近辺を通るともう古墳だらけなんです。ちゃんと認定された古墳だけでも見るのは1日以上かかります。古墳潰しがどれだけ好きなんだ道路行政!!
国道1号から北へ500メートルの住宅地の中ですが意外にも微高地らしく、弥生時代後半から古墳時代の住居跡が見つかっているようです。
やはり先ほどの御本尊は宿禰さんがモチーフなのか?
秋葉と三峯も。屋根もつけて大事に
沖ノ森神社
石川白髭の由緒書きにある通り、東名高速を挟んでかつて2社あった白髭神社、その北側の社は沖ノ森神社と名前を変えながらも、変わらず白鬚を祀っているそうです。
北脇白髭神社
ここも神社庁のデータにない。どんどん出てくるわぃ
つけると疣(イボ)が治る水が湧くことから、疣宮とも呼ばれているとか
東海道新幹線の線路のすぐ近くに立地
楠白髭神社
若宮、白髭 とある
巴川沿いに建つ。常葉大学草薙キャンパスがやたら立派でした。
吉津白髭神社(みつからず)
これで市内の白髭は周り尽くし、国道1号バイパスに乗り藁科川へと入る。
しかし事前の調べでは番地がヒットしない。近い番地は老人ホームになっていて、それっぽい茂みを見てみても何もありませんでした。
ネットで巡った人を見ると現在は津島神社と名前を変えている様子。そりゃぁ見つからんわ。藁科街道沿いの公民館の横にもさびれた白髭があり、そこは祭神が狭田彦となっているらしい…
寺島白髭神社
まだまだ白髭神社はあるが日がもうだいぶ傾いてきた。ここはまず藁科川をできるだけ北上し、通り道の神社と諸子沢だけは見ておいて、暗くなるまで残りを行けるだけ行こうと決めました。
急カーブがお山を囲っているおやしろ。ここもかなり急階段でした。中部電力清沢発電所が近くに。
日向白髭神社
諸子沢まであと少し。6時を回ってもまだまだ明るいぞ
福田寺の奥に白髭が鎮座する。ゲンが悪いなぁ
多少荒れていました。
主張の強い青のついたて。今回やけに場違いなほどの青色を神社で見かける。
イスラエルの国旗といえば青、スサノオは青草を束ねて蓑笠を着ていた。
というように出雲、ユダヤでは青は特別な意味を持ちます。アルファロメオといえば赤のイメージですが、バチカン結社が乗るのは青色だったりします。
そこから少し川を上ると諸子沢。天狗山の水を集めて藁科川に合流し、安倍川を経て駿河湾へと至る。
まとめ
時間は6時半。これで行きやすい白髭は全部回ったことになる。諸子沢まで来れたし、まだまだディープな場所に白髭神社が残っている。
ネットで調べたところで、行けば後から見つかってくるし、まだまだ今回のデータを総括できたとも言えない。
また安倍川の支流には中河内川、西河内川があり、興津川には中河内、西河内という集落がある。まるでコピーしたように川の形も似ている。これは何故か。
岐阜にも同じぐらいの数の白髭神社があるというし、白髭廻りは私の新しいライフワークとなるでしょう。白鳥、白山、天白にやけに縁のある私がやるしかないぞ!
ミオの君よ、いつか迎えに参ります