またまた新シリーズを始めてしまいました。その名もアジアウォッチ。
何を隠そう、現在東南アジアはベトナムに住んでおりますわたくし、畏れ多くも神様救助隊においてアジア隊長という役割を拝命しております。
所用によりカンボジアへと行く事となり、かねてよりの野望であったメコン川上流の浄化を執り行った報告及び旅行記となります。
写真多めでダラダラと時系列通り展開します。戻るなら今だ!!
1日目
路線バスでホーチミン→国境の町モクバイへ
ホーチミン市内からは路線バスでモクバイまで行けると聞いた私は、バスアプリで停車場を確認し、始発地点のbến thànhまで行くのも遠いので、cộng hoà通りのvincom maximax までgrabバイクで行きました。
バスアプリでは70-3という表記になっているため、最初703番バスを見た時にスルーしてしまいましたが、703が正解です。
立派な歌劇場。しかし、軍隊の所有のようです
nhà(家) hát(歌う) quân(軍) đội(隊)
右下には、軍事区域につき物売りや集会、カンボジア行きの客引き等の禁止と書かれて居ます。
しかし鬱陶しいおっさんがモクバイまで10ドルだ8ドルだとかゆってる。
高いし、この暑い中バイクのケツに2時間もなんて嫌やわ!
とにかく歌劇場の前で待つ事小一時間。途中でクメール文字の書かれた旅行会社のバスが何台も客をピックアップしては去って行くも、固い決意で路線バスを待つ。
無事に乗車。どこまで行くのかと運転手に聞かれるので、モクバイだと言うと50,000ドン(約240円)だと言う。多少古いバスだがエアコンもちゃんと効いており、快適。
途中、降車ドアが開いたと思ったら、停止もせずに時速10キロぐらいのまま荷物を抱えたオジサンが颯爽と乗車。長旅の旅客達のためにパンやらを売りに来るようだ。ご苦労さま。
でもいつまで乗ってんの、このオジサン(^◇^;)
終点のモクバイに到着。バスを見送る。
オジサンは気づいたら居なくなっていました。おそらく途中で降りて、またホーチミン行きのバスに乗って販売するのでしょう。
トレーラーやらが大挙たむろしています。バスを降りた目の前にこのゲートがあったので、こっちだろうと入って行ったら、コッチじゃないよと言われる。うーん、わからん。
スマホでポチポチ確認しつつ、言われた通りに歩くと、それっぽい建造物を発見。
国境事務所へ。左下の建物は海軍事務所。なーんで陸の国境に海軍がいるんですかね
国境事務所。無事に出国手続きを終える。
実はベトナム滞在のビザの期限が当日までだったのですが、イチャモンをつけられる事もなく賄賂を要求される事もなく無事に終了。30分ぐらい待ったでしょうか。
手続きを終えて国境側へ出たところ
おそらくですが、この礎石を境にベトナムとカンボジアが分かれているのかと。
礎石をカンボジア側から
カンボジアっぽくなってきました。
カンボジアビザ取得&ベトナムビザ30日問題について
※ベトナム在住者、東南アジア周遊旅行を予定されている方には耳寄り情報かもですが、そうでない方は飛ばしていただいて問題無いです。
さて、わざわざ路線バスを使って、歩いてベトナム国境を跨いだのは、カンボジアのマルチビザを取るためです。
ベトナム南部の経済首都ホーチミンからカンボジアの首都プノンペンまでは、各旅行会社が集客に熱心であり片道およそ10ドル以下で行くことができます。
しかしその場合は、カンボジア入国のためのビザをシングルでしか案内できないと言われ、一回入国するだけで30ドルを取られるというのです。(韓国資本のクムホサムコバスで言われました。)しかも相場として、旅行会社への手数料や役人への賄賂等々で、プラス5ドル、都合バスチケットに加えて35ドルを払わないといけないとのことでした。
しかし、1年から3年のマルチビザを取れば、一回の入国では30日までしか滞在できないが、その期間の間は何回でもカンボジアに入国できるとのこと。
気になるビザの料金は、
1年で40ドル
2年で60ドル (3年は失念しました)(二つとも観光ビザ)
なんと、2年間に2回行くだけで元が取れてしまうではありませんか。
私の場合は所用でこれからカンボジアへ行く機会が増える事が見込まれるため、何としても2年で60ドルのビザが欲しいところでした。
ビザ発給カウンターへ行き、申請用紙に記入。証明写真が無いと賄賂を要求されると聞いたので忘れずに提出。(2年前ぐらいにコンビニのネットプリントで印刷したもの)
しかし!!
あろう事か私のパスポートの有効期限が2021年の5月に切れるため、2年のビザ申請はできないとの事!!
そうだった。ビザの満了する日から、さらに半年のパスポート残存期間が無ければ申請はできないのでした。
今は2019年の5月、2年後はもうパスポートが切れる月。そらアカンわ!
思えば自衛隊2年目、スーツを来て外に出る仕事をしていた私は、外回りサラリーマンよろしく稼業時間中に爆睡するわ、江東まで運転免許の更新に行くわ、カイロプラクティック治療に行くわで、それなりに自由でした。その時に新宿の都庁で作ったパスポート。そうか、あれからもう8年も経ったのか…
パスポートには尖った目つきと派手なスーツでこちらを睨む男の顔があった。
自分語りはさておき、仕方なく1年のビザを申請し、40ドルを支払う。無事に発給されました。
とまれこれで次回はホーチミン→カンボジア直行のバスに乗ってもビザ料金や賄賂を取られる事もなく、スムーズな移動ができるはずである。一年以内にカンボジアに行く可能性は限りなく100%に近い。シングルビザ+10ドルで済むのなら、取っておくが大吉ラッキーマンであろう。
2019年5月現在、インビテーションレター等の準備が無くとも、バベット(モクバイ)国境においてアライバルでカンボジアのマルチビザを取得できます。東南アジアは非常に情報が錯綜しており、旅行会社も金欲しさにデタラメばかり言っています。参考の一つとして頂けたら幸いです。
旅行客を惑わせるベトナムビザ30日問題
間違いの無いように説明ですが、ベトナムの3ヶ月マルチ観光ビザを発給するにはインビテーションが必要であり、とある知り合いの日本企業が世話になっている旅行会社に聞いたら、インビテーションレターの手数料に90ドルもかかると言われました。
在ホーチミンの韓国人の知り合いに聞いたところ、韓国人がやっている旅行会社では、同じインビテーションの作成をたったの18000ウォン、つまり15ドルでやってくれるというのです。もちろん入金口座はベトナム、韓国どちらもOK。
とかく日本人は言われたらホイホイと払ってしまうので、このような暴利がまかり通っています。
しかも腹立たしいのが、その旅行会社は私がカンボジアへ行って四日後に戻ってくる際にビザが必要だというのです。ノービザ許容範囲の2週間後には再び出国するというのに。
バカを言いなさんな!! ベトナムを出国して30日以内に再びベトナムに入国する際にビザが必要というのは、査証免除、つまりノービザで入国していた場合であり、ビザを持って入国していた私には適用されないのです。日本大使館からもこのように通達があるでは無いか。
整理すると、
ベトナムノービザ15日間滞在→出国→30日経たずにノービザでベトナム再入国 NO
ベトナムノービザ15日間滞在→出国→30日経過してノービザでベトナム再入国 OK
ベトナムビザありで滞在 →出国→30日経たずにノービザでベトナム再入国 OK
ベトナムノービザ15日間滞在→出国→30日経たずにビザ有りでベトナム再入国 当然OK
つまり、30日の間を置かずに再びベトナムに入国する際、前回の入国か次回の入国のどちらかがビザ有りであれば問題ないのです。もちろんビザ無しの場合は15日までしか滞在ができません。
何回も何回も説明しても、大使館のサイトを見せて説明しても、旅行会社はそんな事無い、ビザが必要だの一点張り。
このような初歩的な情報を旅行客に伏せ、不安を煽って詐欺を働こうとする旅行会社…
と付き合っている日系ベトナム駐在の自動車会社…
おそらく自動車会社の人事担当者はリベートを旅行会社から受け取っているのでしょう。どうせ払うからよ、確実さを要求する日本人はな、カモだぜ賀茂。という波導をビっシビシ感じるのです。
そのしわ寄せに、馬鹿高い車両代金として、社員のサービス残業として上乗せされていることが経験則から見えてきますね。ぜひ過去記事、トヨタによる実習生という名の奴隷搾取を参照ください。
アジアでは知らない人が居ない自動車会社が、こんなしょぼい社屋の旅行会社にビザ業務を依頼する時点でおかしいと思いましたが、まぁ東南アジアではこんなんばっかりです(^_^;)
ちなみに、レバンタン公園の南側にある、在ホーチミン カンボジア領事館にも行きました。しかし領事館では30日シングルビザの発給しかできない、ボーダーで申請しろとの事でした。
外交官、基本的に仕事しねぇからなぁ…わたくし日本の外務本省にもちょくちょく出入りしてましたけど…
面倒で責任が伴う仕事はボーダーの木っ端役人に任せ、エリート達は優雅に外交(という名の悪魔クラブ)。これについてはまたの機会に…
国境の町、カンボジア側バベット
ビザをパスポートに貼ってもらい、ルンルン気分で国境を出ようとすると、イスに座ったおじさんに呼び止められる。
パスポートを見せなさいと言われる、スタンプが無いじゃないかと言われる。
ビザが発給されただけで、まだ入国の手続きをしていなかった!てへぺろ
あわや不法入国(大げさ?)というところを防いでくれたオジサンに感謝しつつ、入国手続きを済ませる。
指紋スキャンや手荷物検査等も無く、ゆっるい。 いいなぁ東南アジアは・・・。
こちらが国境の町、バベット。第一印象は、砂だらけ。ホテルが悪趣味。
国一つ違うだけで、こんなに違うもんかというほど、道路は土ぼこりが舞う。まるで違う次元を繋いだようだ。
中華資本のホテルがきらびやかに輝き、カジノの入口が闇へと誘う。
ベトナムはカジノが基本的に外国人専用のうえ、オンライゲームしかないのでつまらんそうな。ゆえに多くのベトナム人、そして外国人がビザ延長を兼ねてカンボジアに入国し、カジノを楽しんで帰るんだそうな。
私はもう20代前半でカジノには行き飽きてしまったので、目もくれず町を散策。
プリンセス天功がオーナーのカジノが何処かにあると聞いたけど…興味無し
マートや食堂が立ち並ぶ
休憩。コーラ11500ドン(54円)はベトナムより高めだが、仕方あるまい。
タバコだけは安い!と聞いていた通り、これが100円。
クレテック党の私は見た事もないジャルムメンソールを見つけてテンションが上がる。
さすが国境だけあって、ベトナムドンが普通に通用するうえ、カンボジアの通貨であるリエルはもちろん、ドルでの支払いもできる。カンボジアはむしろリエルより米ドルが流通しています。1米ドル=約4,000リエル
後述する用事のために、バナナを購入。
ベトナム人(おそらく)が経営する果物屋にて、捨てられそうな型落ち品のバナナ約5キロを、なんと10000ドン(46円!!!)で譲ってもらう。ありがたうお兄さん。
バベット→プノンペンの交通手段
さて、今日のホテルも決めていないが、兎にも角にもプノンペンまではどうやって行こうかと思っていたところ、黙っていても構ってくるトゥクトゥクのおっさんに聞いてみる。
私『プノンペンまで行きたいんだけど、どこいけばいいの?』
おっさん『ムォイ✖︎✖️✖️(聞き取れない)ドラー』
??
ムォイ mười はベトナム語で10の意味である。まさか10ドルいくらで、このトゥクトゥクでプノンペンまで行けんの??いや乗らんけど。あんた大丈夫なの?
と聞き返すと、私の手のひらに指で数字を描きだす。
おっさん『100ドル(指で)』
どこが10ドルなんだよ!!!!
後になって氷解したのだが、ムォイというのは、クメール語で“1”を意味し、おそらくあの時は ムォイ ローイ ドラー (100ドル)と言っていたのだと思われる。
ベトナム語では10。クメール語では1。なんだこのややこしさ!!!
そんなやり取りをしていると、英語で話しかけてくるもの、ベトナム語で話しかけてくるもの、多くの雲助達に囲まれる。
バスでは大体5ドルでバベットからプノンペンまで行けると聞いていた私は、ことごとく『高い!! 無理!!』で切り返す。
そうしていると15ドルで良いというニイちゃんが登場。しかも車は大きめのSUV(確かトヨタクルーガー)
それはそれでおっかないし無駄金は払いたくないので、振り切って国境事務所側へ行き、乗客の入国手続き待ちのバスの車掌に話しかける。
最初はクムホサムコのバスに話しかけるも、席は無いと言われる。
その次のバスに話しかけると、あるという。値段は5ドル。聞いていた通りなので安心して乗車。KHAI NAMという会社のバスでした。ガラガラだったので広々着席。黙々とバナナの皮をむいてペットボトルに詰め込む。
車窓から眺めるバベット。すっかり夕暮れ
出発してすぐなのに休憩。どうやら旅行会社で所有している休憩所のようだ。
特に欲しいものも無い。
驚いたのが、バスに乗ってしばらくしても、ベトナムのSIMカードのままインターネットが使えた事。さすが近いからですね。
しかしいくら3G通信は遠くまで電波が届くと言っても、この距離はどうなんだい
スバイリエンを過ぎ、Kampong Trabeakの辺りでメッセージが届いてビックリ。
スマホ画面を見ると3Gながらベトナムの通信会社のアンテナが一つ。
一番近いベトナムの国土まではどう計測しても20㎞はあるというのに、電波が届くなんて???
ということは飛行機の上で電波が届いても(確か高度3000メートルぐらいの時)不思議でもなんでも無いという事か。
それもそのはず、空自浜松基地が誇るE767なんて、上空10000メートル上で戦闘機への管制や各管制塔との中継、に留まらず、パルス兵器やらUFOコントロール、あんなことやそんなこともしているんですから。
2時間ほど走って、休憩。先ほど断られたクムホに追いつく。
やっぱり欲しいもんは無い。
今どきプルタブ式の缶ジュース。しかしエナジードリンク。古いんだかナウいんだか。
しかも炭酸は無い。確か1ドルか、0.75ドル(3000リエル)だったか。買って後悔。
バスは順調にプノンペンへと到着。バベットから4時間ほどでした。訳のわからんところで降ろされる。やはり雲助達に囲まれる。しかし何しろカンボジアに興味の無い私は、安宿の集中しているバックパッカー街がどこかもわからん。雲助によるとリバーサイドがそうだという。2ドルで行ってやると言うが高いのか安いのかわからんし、とりあえずカンボジアの街並みを歩いてみたいと思って歩き出す。
ジョニーウォーカーおじさんも『あるきんしゃい』と言ってました
東南アジアあるある。聞いた事もない日系(?)メーカーが有名
カンボジア第一にゃんこ発見!!! バナナには目もくれず
お寺かな
オリンピックスタジアムの前ロータリー。中国の投資が多いと聞いていたが、やはり漢字だらけ。とりあえず五輪マークの噴水に乳酸菌投入。
超高級ホテル宿泊、ぼったくり騒動
オリンピックマーケットからまっすぐ中心地と思われる方向へ40分ほど歩いたところ、ようやくASIAホテルという看板を発見。
大きい道をずっと来たのに、コンビニも無くWi-Fiも捕まらない。もう探し回るのもめんどくさいと思った私は、ここに泊まる事とする。
翌日撮った写真。
モロに中国系のホテル。なぜかクレカが使えないので45ドルをキャッシュで払う羽目に。この時点でビザ取得に40ドル払っていた私の所持金は、ベトナムで100ドルしか用意していなかったために14ドルほどとなる。
超高級ホテル。私が宿に45ドルも払うなんて…
すでに夜11時を回っている。何か温かいもんを食べて寝ようと思った私は荷物を置いて外へ
ベトナムと違ってニャンコがたくさん😊そして健康的。ベトナムではニャンコは食べられてしまうため、生き残っているのは肉の少ないガリガリニャンコだけ😭(持論)
サークルKで水、コーラ等を購入。やはりカードは使えない。何故…
そして事件は起こった。カンボジアメシはどんなもんじゃろうと思っていたところ、どの店も高い!
そもそもがこの周辺は中国系の店ばかりで、どれもこれも4ドルをくだらない。
屋台なら安かろうと思い、焼きそばっぽいメニューを指差して値段を聞いたら、3ドルとのこと。高杉。
なにせ3ドルだ。ベトナムドンにすれば70,000ドンである。70000ドンあれば美味しいbún thịt nướng (ベトナム風まぜそば)が3回食べられる。
これは揚げ春巻き入りなので26,000ドン(121円)。しかし、麺野菜おかわり無料だ。参ったか!
3ドルなんて無理無理〜とパスして隣の屋台に聞くと、2ドルとのこと。
2ドル…46,000ドンあれば… 惜しいが仕方ない。ここではなんでも高いのだ。
俺はハラが減ってるんだ、大盛りにしてくんな! と言うと、理解したのか分からないが薄ら笑いを浮かべて麺を炒め始める男。
ハラをすかせた男は座ってエサを待つ。何かコップ入りの液体が運ばれてくる。ジャスミンティーを5倍に薄めたような、ボケた味と匂いがついた液体を飲んで待つこと数分。運ばれて来た物体がこれである
はじめに運ばれて来た、見覚えのある赤と黒いペースト(写真左)にやな予感を感じつつ、運ばれて来た焼きそばは、それなりにうまそう。 しかし大盛りでは無いだろうという量。もうツッコむ気力も無いので食べる。まぁまぁうまい。しかし、これはカンボジア料理なのか??
もしかしてカンボジアまで来て高い金で中華料理を食わされているんじゃないのか??
一抹の疑問を感じつつも完食し、計算をしようとすると
「3ドルだ」
はぁ?
いやいやいや、確かにさっきの男が2ドルって言ってたけど??
と言うも、件の男は後ろに座って何か食べている。おい、青シャツ!なんとか言えこのヤロー!!!
店員の小娘、オバサン、爺さんがまくし立てる。3ドルだ3ドルだと。
ふざけろ!!これでもくらえ!!と2ドルを投げつけ、罵声の応酬の中、店を去る。今思えば50セントでも充分だったかもしれないが、契約は契約。
一瞬でカンボジアが大嫌いになりつつも、先ほどのサークルKで携帯糧食(ナッツ類)と追加で水を購入。おそらくあれだけでは夜中に腹が減るだろうと思ってのこと。あとアンコールビール
店員のお兄さんは丁寧で英語も上手。少し救われた気分。残り現金、4ドル(泣)
安くてうまいと聞いていたアンコールビールは、変なエグ味があって正直美味しくない。コップ一杯分だけ飲んで、乳酸菌タンクにIN。
2日目
カンボジアの通貨、両替
7時ごろに起き、ビュッフェの朝食。45ドルも払ったのだ、これぐらいは食わねばと、眠い目を擦り朝食会場へ
相変わらず中華なのかカンボジアなのかベトナム料理なのか分からん。
しかし今回の旅行で最も美味しく、ちゃんとした食事であった。
中国人がそこかしこで唾をはくんだろうなぁ
部屋に戻り、テラスに出ると乳酸菌の増殖によりバナナが爆発していた。面白いのが、発酵があまりにも早いので、黒くなったバナナには糖分が無いのか一切蟻がたかっていないこと。エアコンの室外機の熱もあって、発酵が爆速。阿部寛並みである
二度寝し、12時にチェックアウト。大量の荷物を預かってもらい、何は無くとも金だ、と思い、レートが良いとネットで噂の両替所へ。暑い。中々の日差しである。
途中でオルセーマーケットに寄る。これと言って特筆する事もない。どうせ高いし。
オルセーマーケットの向かいに大きな携帯ショップがあり、SIMカードが無いかと尋ねる。一番安いもので5ドルだという。
所持金4ドル。
金が足りねぇ!!
そう、携帯糧食を買っておいたのがアダとなり、SIMカードを買うための現金が足りないのである。
やはり何はなくとも金か…という事で、両替所へと急ぐ。
こんなに使わないとは思うが、手持ちの日本円75,000円を全てドルへと両替する。
679.5ドルが返って来た。
75,000÷679.5=110.37円(1ドル)
グーグルで見たこの日の中値は109.3円。対して良くもないねぇ。
ちなみに、正確には679ドルと2000リエルである。
カンボジアは給料もドルで払われるというほどに自国通貨の信用がなく、リエルは1ドル以下のおつり用という認識のようだ。
恥ずかしながら、プロヴィデンスアイを初めて使用しました。未だアジア以外の国には行ったことがありませぬ。下は100リエル(約3円)。肖像は若かりしノロドム・シハヌーク王の出家時代。クメール数字の1が9にしか見えないので、最初はややこしい。
まず見かける事は無いであろう、100,000リエル。最高額紙幣です。と言っても25ドルほど。
カンボジアの通信手段
カンボジアも当然のように携帯電話が使えます。かつては電話屋というのが道端にあり、固定電話が家に無い人はそこまで行ってかけていたと聞きますが、今は昔。IT化の波はカンボジアにも。
私が仕事で初めてベトナムに来た2年前も3Gしか開通しておらず、もうすぐ4G開始!?と騒いでいたのに、今やベトナムは当然のことカンボジアも4Gが当たり前。
先ほど現金が足りずに買えなかったオルセーマーケット前の携帯電話ショップに舞い戻り、店員の女の子に金を持ってきたぜーと言うと、電話番号がずらっと書かれたプリントを見せられる。
縦の列が通信会社で、横の列が料金と番号。同じ通信会社なのに5〜9ドルと番号によって値段に開きがあるのが謎だったが、とりあえず一番無難だと言うセルカードと言う携帯会社の、一番安いSIMカードを購入。やはり5ドルでした。
SIMカードを挿入し、アクティベートするもネットが使えず。なぜだ。
英語のできるおじさんに見てもらうと、料金チャージはしたかとのこと。
金をチャージしなかったらそりゃ使えないぜお嬢ちゃんヨォ!
英語もほとんど通じず、業務内容もほとんどわかっていない女の子に(^◇^;)ヤレヤレ しつつも、おじさんは3日間なら1ドルで充分だという。
1ドルでいいの!?
なんと、三日間で動画にマップにと散々使ったのに、最後に確認しても3ギガバイトも残っていた。最初は何ギガだったのか分からないが、3日間の旅ならまさに充分すぎるデータ量でした。
いったいどうやって利益を出しているのか…
そして日本はどうしてあんなに高いのか…
某極悪D社を使っていた際、データが足りなくなって1ギガ追加したら2000円だったっけ…??
1か月で1万円というたっかいたっかい通信量(カンボジアの100倍…‼︎)をむしり取り、大げさな基地局をドカドカ建てて、何をしてるんでしょうね、日本のキャリア通信は…
あらゆる物価がベトナムよりも高いカンボジアでしたが、唯一安いのは通信料でした。
カンボジアの移動手段
カンボジアではタイよろしくトゥクトゥクがメジャーな移動手段。いや、もはやタイよりも多い。
新旧トゥクトゥク
ベトナムの移動手段といえばバイクタクシー。カンボジアにもあるにはあると思うんですが、トゥクトゥクが便利。何より日差しは避けられるし、複数名乗れるし、ゆったり座る事ができる。これはベトナムにも是非増えて欲しいところだが、バイク多すぎで機能しないでしょうね。
英語が達者なおじさん。
座席の後ろに荷物スペースアリ。
配車アプリ(GRAB)を使用し、1.5キロほど走っても 5,000リエル。1ドルと少しである。
これはラクチンだし、いいなぁ。
いくら安くて早くても、ベトナムのバイクタクシーはね… 乗るけどさ
ホーチミンと比較すると、カンボジアはバイクの量も少なく交通マナーも良い傾向にあります。
ベトナムは歩道にもおかまいなしに露天は出るわ、看板を置くわ、駐輪場と化すわで、ろくに歩けた物ではありません。旅行者向けと言う意味では、ベトナムよりもカンボジアをオススメします。
王宮へ〜翻弄の歴史、ノロドム王家〜
トゥクトゥクは東へと進み、王宮のすぐ近くの宿へと到着。
ネットで予約しました。2泊で25ドル。
これもベトナムに比べたら割高と言わざるを得ない。古めかしく、部屋まで遠くてエレベーターも無いが、ホスピタリティでは満点でした。レンタルバイクの手配、帰りのプノンペン行きのバスの手配も滞りなく行ってくれて助かりました。部屋も清潔。鍵のたてつけに少し難アリ。334号室でした。
334+666=1000(о´∀`о)
相撲やってる(^◇^;)
地デジ化はまだ先かな?懐かしいブラウン管テレビでした。テレビは古いがチャンネルは多く、英語放送、中国語、ベトナム語、韓国語、NHKとなんでもござれ。
ホテルの前から公園越しに王宮を望む。
私がたいへんお世話になった政界にも通じるドンは、安倍晋太郎元外務大臣の名代(使い走り!?)として北朝鮮にも何回も行ったとな。その時に中国に亡命していた前王のノロドム・シアヌーク殿下と北朝鮮でお会いしたそうな。
どこか物憂げな、何かを伝えたそうな若かりしシアヌーク殿下の御真影(100リエル)を見るにつけ、権力に翻弄された、悲しみの波導を感じます。
とかく権威付けに利用されるカンボジア王家の勲章。猫ひろしといいケイスケホンダといい、カンボジアに絡む人たちはどうもキナ臭い。
と思っていたら、知人からタイムリー?なイベントのお知らせを受け取りました。
各界の著名人が名を連ねる中、カンボジアという途上国の国名が2度も出ているのは面白いですね。司会の半田さんはカンボジア王国からの叙勲をいくつも受けていますし、右端のデニース・コグランさんは40年以上カンボジアで地雷除去等の活動をなさっているとか。イエズス会ねぇ…
夕方5時を周り、少し周囲を徘徊してみようと、ホテルを出て川の方へ。すると、途端に大雨。
これはしめたもんだと、カッパを装着し、王宮前の広場(ロイヤルパレスパーク)に乳酸菌をバラまく。道路にも、ゴミ袋にも、ココナッツの殻にも。
水浸し状態の地面を伝って、浄化の乳酸菌が広がるイメージで、祝詞を唱えながらひたすら撒く。
少しすると雨が上がり、ひらけた広場に出ました
かつてはベトナム南部ホーチミン(サイゴン)もクメール王朝、即ちカンボジアの領域だったとされています。ベトナムとカンボジアは実に1989年まで戦争していた仲であり、柬越のそれぞれの内戦の歴史を語る上で、隣国との関係は切っても切れないものでした。
ポルポトらのいいなりのままに幽閉、国外亡命を繰り返したシハヌーク王、もしかしたらまだどこかで生きているのかも知れませんが、きっとカンボジア国民の安寧を祈っておられる事でしょう。
晴れた日の王宮
この日はベトナムチェーン店(ベトナム人に言われて気づいた)のパン屋で買った惣菜パンが夕食でした。まともなもん食いたいなぁ…ひもG
三日目
カンボジアでレンタルバイク
今日で三日目。明日はベトナムへと帰る日です。存分に発酵した乳酸菌を携えて、前日にホテルに手配してもらったレンタルバイクの到着を待つ。トニックウォーターを飲みながら
割と定刻通りに到着。
24時間で6ドル。外国人価格ではあろうけども、十分許容範囲内であると感じました。しかし後から調べたところ、値切れば3ドルぐらいにしてもらえるとか…
書類にサインし、鍵の説明を受け、パスポートを預ける。東南アジアでは何かとパスポートが手元を離れるシチュエーションがあり(ベトナムのホテルでは多くがパスポートを預かる)、不安だが仕方ない。
無くした経験のある人間は、無くてもなんとかなる事を知っている…が、もしここで無くしたらベトナムに寄れずに日本に直帰せなばならん!ので少し不安強めだった。
なんとかなるさぁ〜の精神で出発。クラッチの無い4速ギアのマニュアルタイプ。カブと同じロータリーギア方式は、実は初体験。
当然、免許は無い。国際免許すら無い。でもノープロブレム。日中にライトを付けたら違法という事だけは気をつけないと、公安に止められて賄賂を要求されるらしい。面白い法律ね。
1リットルだけタンクにガソリンが残っているというので、まず給油だ。適当なスタンドで2ドル分のガソリンを要求。ほぼ満タンになり、安心して出発。
ベトナムのようにアホほどバイクがひしめいてウンザリ…するほどでは無いプノンペンの交通事情ですが、やはり郊外に出るとホッとしますね。しかし、ここでも中華資本の投資が凄まじい建設ラッシュ。
血塗られた大地。チュンエク大量虐殺センター
到着。迷いつつプノンペンから1時間ほどバイクを走らせて到着したのはキリングフィールド。
かつてポルポト率いるクメールルージュ達がここで多くの無辜の民を殺害しました。
原始共産主義という美名の元に、学者、医者、外国語が話せる人といった知識人に限らず、ただ眼鏡をかけているだけ、さらには手が柔らかいという理由だけで、ポルポト主義に反する危険分子の烙印を押され、老若男女問わず、数万人という民が殺されました。もちろん、殺された中にはクメールルージュの少年たちも含まれています。
行き過ぎた思想、理想の社会、それを求める独善的な指導者一人のおかげで、どれだけ多くの民が殺されたのでしょう。
そして、カンボジアにおいてキリングフィールドはここだけではありません。カンボジア全土に百数カ所あると言われています。
未だかつての虐殺指導者達の断罪は進まず、発掘調査も遅れ、風化しつつある所もあるのだとか。
主義信条は自由ですが、今の世に共産主義(武力)革命を心から願っている人々が未だに存在しており、資本主義、権威主義への憎悪の余りに、こうした歴史的な事実に目を背けている人が居るのも現実。
共産主義が素晴らしいと思っている人は、共産主義国家に於いては、権力者だけです。
多くの民は公安警察という名のマフィアに怯え、賄賂を払い、監視され、肉体的にも被害を受けているのが実態です。
あらゆる書類の受理に賄賂が要求され、理由も無く交通違反切符を切られ、金が無いものはさらに貧しく、あるものはさらに富む。やっている事は資本主義と大差ありませんし、指導者を父と仰いで信奉する姿は権威主義、君主国家そのものです。
所詮は世界支配の構図の一つ、各国対立のイデオロギーとして考案された物である以上、多くの民が平和になる制度など、ありはしないのです。
14階建てのマンションで見せ物にされるしゃれこうべ達…
なんで矢場とんの豚のぬいぐるみが…
銃弾が高すぎるため、銃殺は行われませんでした。鍬、鋤、鎌、ハンマーといった共産主義の象徴とされる物で殺される無辜の民達。それが彼らにとっての正義だったのです。はたまた砂糖ヤシの皮でも喉を掻き切られ、木々と大地は血塗られました。
新潟南ライオンズクラブといえば、ホテルイタリア軒が定例会場だったような。違ってたらすみませんが、不思議な縁もあるもんだと。
バイクの駐輪は一回1000リエル(0.25ドル)でした。
空港へ
ひとしきり祈りを済ませたので、なんとなくプノンペン空港へ行ってみることにしました。
途中で変なところに迷い込む。
311の仮設住宅街を思い出す。
陰陽師修行旅行で東北に行った際も、何かと言うと近くに仮設住宅がありました。被災者達の不安や恐怖をエネルギーにして地下で何かやってるんですね。
結構新しいです。フライトスケジュールも駐車場も余裕があるようで、とてもキャパシティオーバーとは思えません。2時間も離れたコンポンチュナンに新空港を作る必要性を感じませんが…
途中のウドンには再び訪れるでしょう。
高いので携帯糧食で餓えをしのぐ。
庶民の足で市内まで行けますよ。
プノンペン空港鉄道
ベトナムにも未だ出来ていない空港鉄道がプノンペン空港にあります。空港を出ればこじんまりとした駅舎がすぐに見つかることでしょう。
なにやら列車の到着時刻が近づいてきたようで、ホイッスルが鳴り響いたりとざわめき立つ。踏切は無いようで、人が直接車の交通を止める。
警笛が聞こえると、現れたのは王立鉄道のディーゼル車。
プノンペン駅まで行って、乗り換えればタイまで行けるようです🇹🇭。しかしタイ⇆カンボジア間の鉄道はまさに開通したばかりであり、まだ通関や出入国手続きについては手探り状態なんだとか(^◇^;)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00019/050900048/
(日経ビジネス)
とりあえず線路は出来たから通しちゃえの精神、大切にしたいですね。
駅舎の隣には庶民的な食堂がありました。
貧乏旅行者の強い味方となるでしょう。
やはりドケチ倹約家である私には一食に3ドルなどという天文学的な金額はとてもじゃ無いのであった。
空港の真向かいに、監視するかのようにIsuzuのディーラー。ホーチミンのIsuzu工場も空港に隣接していて、メルセデスと結託して何かやってます。さすが出資しているのが伊藤忠なだけある。
以下、プノンペン津々浦々
マックスバリュエクスプレスが有ったので入ってみました。
ロスチャイルドさん達は改心の兆しが見えるそうなので、許してあげましょう。
今日の晩御飯は0.75ドルの弁当。唐辛子が甘くておいしい
GARIGARIKUNが1ドル…うーん
4日目(最終日)
ついに最終日。当初からの予定通り、大量に発酵させたbananaと砂糖水を携え、メコン川を溯上する。
1時間ほど上流へとバイクを走らせ、いい感じの橋が有ったので、ここから流すことに。
ウドンの山。次に来るのはここか… この時は全く分からなかったが、やはり呼ばれていたということか。
メコンデルタを癒しておくれ、菌ちゃん達!!ついでにプノンペン市内もね。
5キロのバナナと1キロの砂糖で存分に増えた乳酸菌が肥沃なメコン川に行き渡れ〜〜✨
祓え祝詞とともに乳酸菌を投入。
祝詞奏上の間、右後方からものすごい視線を感じました(^_^;)メコンのヌシかな?
なんせメコン川はベトナムでの名前はSONG CUU LONG。9の竜の河。
満足したところで、バイクの返却が迫っているため、ホテルへと戻る。しかし
メコン川本流方面へと寄り道をする。
謎の建造物が
何に勝利したというのか
向かいには大きなスタジアムも作っているし
隣にあるのはテレビ局?
プノンペン市内へ
フランス大使館
ワットプノン。市内で一番高い所にあるお寺だとか。
ワット・プノン (クメール語: វត្តភ្នំ、「山の寺院」の意)はカンボジアの首都プノンペンにある仏教の寺院(ワット)。1373年建立。標高は27メートルでプノンペンでは一番高い位置にある宗教建築である。 ウイキペディアより
うーむ、こんな川のすぐ近くで、湿地帯のど真ん中に丘があるのか…
丘じゃねぇだろ!!!
どうも辛気臭い。ちょうどロータリー状に丘を囲んでいるので周りをグルグル4周ぐらい回って、余りの乳酸菌をポタポタ流し続ける。
さらばプノンペン
無事にホテルへと帰り、返却時間の9時になってもバイク屋が来ないので、バイクの鍵をフロントに預け、シャワーを浴びに部屋へ戻り、荷物を整理する。
バスの出発は10:30なのに、9時45分になっても迎えの車がなかなか来なくて少し焦る。
無事に乗車。帰りも行きと同じKHAI NAMのバスでした。後部座席は謎のスペース。
日曜日だけあって、気がついたら満員御礼だった。
今日の食糧。リッツこれで1ドルは安い?しかしコーヒーはどう見てもブラックなのに、甘いのだ。忘れていた、これがアジアだった。
ホテルが手配したプノンペン→ホーチミンのバスは10ドルポッキリで、パスポートは乗車時に車掌に預けました。国境での手続きは、カンボジア出国時はバスを降りて歩くだけで、ベトナム入国時は纏めて処理されるパスポートを順番に受け取るだけ。荷物等もバスに置きっぱなしでした。
当然、ビザも全く問題なく、ベトナム出国時のチケットの確認も何もありませんでした。
以下、車窓からの景色
在プノンペンベトナム大使館。アライバルビザでは不安だという方はここで前もってビザを取得できる。
なんとなく山が気になっていたら…
まるで人が横たわっているような形!!さすがに巨人すぎるなぁ
休憩。偶然だろうけど、北緯112233。並んだなぁ
から少し行ったところの変電所
だいたい東南アジアの携帯電話基地局は、ラジオの電波塔のようなワイヤーで引っ張るタイプ。
スバイリエンのロータリー
気のせいか、国境が近くにつれて基地局が増えて、大きくなっているような気がする。
バベット到着。遠くにうっすらとタイニンのてんこ山が!!そうか、モクバイはタイニンからも近かったっけ。
ベトナム独自の新興宗教、カオダイ教の総本山があるタイニン、その近くの特徴的な山です。ちかぢか行くから、首を洗って待っとけよ〜う。
またも行きと同じ休憩所に寄る。さすがにリッツだけではひもGので、マンゴスチンを購入。
1キロ70,000ドン(約320円)。ちょっと高い。
どこ産なのか。別にベトナムにもいっぱいあるけど。
入出国手続もスムーズに終わり、一路ホーチミンへ。
以上、3泊4日のカンボジアツアー、アジアウォッチ第一弾でした。
今回の浄化及び調査旅行を通じて衝撃の事実が明らかになりましたが、時節を見て世間に公表することといたしましょう。ちょむりあっぷすぉー