この国に来て改めて思うのは、そこかしこにユダヤ的な要素が見受けられることです。
普通の教会だなと思っていたら門にデカデカとメノラーのモチーフがあったり。
タイとは打って変わってジェンダーに対して保守的なこの国、社会主義ということもありますがゲイに人権はありませんし、かといってマッスル主義かと言われれば母系社会であり亭主関白など言語道断。
家族意識が強く、目上の人に対する敬称は韓国ほどでないにしろ多いものの、韓国よりややこしいのは話す相手によって一人称まで使い分けないといけない点。私も年をとったせいなのか年少者と話す機会も増え、そういう時はANHとかCHUと言い、友達と話す時はMINHやTO 、年長者と話すときはCHAU、親しい年長者相手ならCONやEM、ビジネスの場や畏まった表現ではToiと、相手の立場で1人称をこれだけ使い分けないといけないのは韓国には無い文化でした。韓国は저と나だけで十分。
ユダヤとは本来儒教(ユギョ)であり、そこから派生したキリスト教も仏教を西洋的にアレンジしただけというのは多くの識者が言うところですが、やはり私に縁がある韓国やベトナムといった国は共通してユダヤが色濃く残るエリアだと改めて実感する日々。
さて、最近読んだ本に『浦島太郎とユダヤ』があり色々と思うことがあったのですが、そういえば著者の田中英道氏はユダヤ人埴輪の著作で有名だったのを後から思い出し、白髭神社めぐりの際に静岡市のホテルで紹介したのを皆様もご記憶でしょうか。

田中氏はつい最近お亡くなりになったと言うことで、これは何かの啓示かと思い、しかもよりによって静岡のホテルの名前が龍宮だとかなんとか言うのだから、いっちょベトナムに来たついでに浦島太郎とはなんだったのか、ミステリーハンターとヒミツ古代史の旅に出てみましょう。
『浦島伝説とユダヤ』の副題に山幸彦が紡ぐ海洋国家日本の古代史とあり、実はそちらに引っかかって入手したのですが、本書をものすごく雑に要約すると
鹿島(高天原)から九州南部に出兵(天孫降臨)したニニギ、その子山幸彦は琉球へと渡りユダヤ国家を建てた。琉球とは龍宮である
と言うものです。ただ田中氏は美術史の専門家であって歴史にはそこまで造詣が深くないのか、ユダヤに拘泥するあまり無理筋な解釈が多く、与那国島はヨナ書のヨナだとか、とにかくユダヤだ!的な言ったもの勝ち感が強い。それを言うなら帯方郡エリアに属する北朝鮮ヨナン(延安)群の方がよほど必然性があるし、韓国の地名&歴史を知っていたらまた違ったでしょう。
私が思うに、日ユ道祖論に始まるユダヤと日本を結びつけるこうしたムーブメントは、より古いシュメール、エジプト古王朝、三皇五帝といった、有史黎明期の痕跡を日本から隠すための撒き餌であると、この本を読んで感じました。
浦島太郎伝説については今更言及する必要もないでしょう。それぐらい日本人の情緒形成に影響を及ぼした作品ともいえますが、教訓的なものがほぼなく、亀を助けたばかりに老人になってしまう浦島太郎がただただ可哀想なだけの物語。現代的に解釈すればAEDで救助した女性から性加害で訴えられるような、救いのない物語。これを子供たちに読み聞かせて、日本の大人たちは何を期待しているのでしょう。
それに結び付けられる物語が山幸彦海幸彦ですが、現代人にはあまり馴染みがないようなので要約すると
山幸彦が兄の海幸彦の釣り針を無くす
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怒った海幸彦は絶対に見つけてこいと言う
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途方に暮れた山幸彦は老人に連れられて龍宮へと向かう
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海神の娘と結ばれる
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海神は魔法の玉を山幸彦に渡す
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山幸彦は魔法の玉を使って洪水を起こしたり、また潮を引かせたりして海幸彦を改心させる
山幸彦は日本神話で言うところのウガヤフキアエズの父であり、神武天皇の祖父に当たります。
これに酷似したストーリーがベトナムにあり、やはり方舟伝説のように小学校低学年で必ず習うのですが、それを
son tinh thuy tinh(山精水精)
と言います。

ベトナムの古代王、フン王の娘にmy nuong媚娘と言う絶世の美女がいて、多くの求婚者がいた
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その中でも出色であったのが山の神SONTINH山精と、海の神THUYTINH水精であった
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決めかねた王は、餅やら象牙やらの結納品を早く持ってきた方を婿にするという
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SONTINHがいち早く結納品を届け、ミヌンと結ばれる。
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怒ったTHUYTINHは大雨、暴風、洪水を起こし二人を苦しめようとする
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負けじとSONTINHは山を高くし、洪水から逃れる。何日もこの争いが続く
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根負けしたTHUYTINHは海へと帰るが、この恨みは決して忘れず、時々洪水を起こす
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だからベトナムでは今でも洪水がよく起こるんだよ。チャンチャン
この二つのストーリーに共通するのは
海と山の争い
洪水
高貴な娘
そして山が勝つ
と言うもの。
日本側では海と山が争う理由が釣り針という、なんとも器の小さい理由か、おちょこ海幸というイメージが残るものの、ベトナム側は争う理由が至極明確です。
注目すべきは、二人が巡って争ったミヌンの父こそが、ベトナム版檀君とも言えるhung vuong(雄王)であり、先祖を辿ると古代中国の神農に行き着く人物です。日本でいう建国記念日に当たるベトナムの(数少ない)祝日は初代雄王の命日であり、毎年旧暦3月10日は各地で式典が行われます。
ミヌンの父18代雄王は古代北部ベトナムに2000年以上続いた文朗(ヴァンラン)国の最後の王であり、紀元前258年に死去したとされています。雄王亡き後の文朗国の残党の中から蜀泮こと安陽王が立ち上がり秦の侵入を拒み続ける。
興味深いことに、交州記によると蜀泮もミヌンに求婚するも無碍に断られたそうな。
蜀泮の治世は50年で終わり、続いて秦の官僚趙佗が南越を建国。中原では項羽が秦を倒したり楚漢戦争だったりでワチャワチャしている間に、5代にわたる趙氏政権が続きます。
漢の支配が安定したのか、紀元前111年に南越は滅び、北属したりしなかったりの時代が長く続くことになります。
以上のことから考えるに、後継が途絶えた雄王家は中継ぎに蜀泮時代を一回はさみつつ、趙佗は雄王の正当性を受け継いだ(強奪?)SON TINHつまり山幸彦であり、だとすると後代の女傑趙氏貞( AD248年没=卑弥呼と同年)が英雄視されるのも、呉と蜀にいじめられる越人たちにとっては由緒ある血統の救世主と映ったからか。
ちなみに韓国でも趙氏の有名人は多く、チョヨンピル趙容弼もそうですしハンジングループ創始者(ナッツリターン娘の祖父)も。有力な本貫のうち咸安趙氏(28万人)の始祖は新羅に帰化した唐人で、中国戦国時代の趙の王族の末裔だったとされています。咸安といえば安羅伽耶ですからインド的、というか倭人的な匂いをそこかしこに感じる一族です。趙の国姓は嬴ですので始皇帝嬴政の親戚に当たるでしょう…ていうか嬴政の母親は趙姫でしたので、一介の商人に過ぎない呂不韋が皇帝の父になれたのも、そういうことかもしれません。
さて、山幸彦=son tinh説を補強してくれるのが、山幸が龍宮へ行って海神の娘にみそめられた、と言う点です。
ホツマツタエではホホデミ(山幸彦)の妻トヨタマヒメ、その父はハテカミとあり、はじかみつまり生姜、姜姓の神農氏を暗示していると見られます。

南陽諸葛氏の始祖が新羅に渡来した時期と、阿知使主(坂上氏祖←劉氏説)が日本に渡来した時期は三国時代の末期であり、竹内宿禰が生姜を三韓からもたらした(上神社に由緒あり)時期とも重なります。諸葛亮の第一弟子姜維、劉備、諸葛亮の子孫がその時期日本に渡ってきた可能性は十分にあり、後述する三河だった可能性が高い。
ワダツミとは
海神わだつみのワダとは朝鮮語でパダ(海)であり、ミはムル(水)、パダッムルが訛ってワダツミというのはよく言われていますが、振られている漢字についても何か意味があると思いました
稀に少童と書いてもワダツミと読むのは、やはり神農氏と同一視されるスクナヒコナが海神系であったことを示し、ニニギ以前に海洋国家群を統治していた大国主と同族、ないしは合流した小柄な部族つまり南洋系倭人であったと見ることができます。
こじつけて見るとアッカド語でkunāšuでエンマー小麦(古代から栽培されていた小麦)のことを指し、クナスを逆読みにしてスクナ(宇佐八幡←ウサ・ハットウ←ハットゥシャに見られるパターン)とすることで、農耕栽培をもたらした一族であることを示し、スクナヒコナは最後に粟の茎に跳ね飛ばされて常世へ旅立ったという伝説もそれを日本風にアレンジしたと言えます。
思うに雨が少ないバビロニアの人達にとっての灌漑の技術は富の蓄積、人口増大にとって極めて重要であり、灌漑整備により河川の氾濫をも解決した、まさに国を堅めた一族。葦原中国を固めるべくタッグを組んだスクナヒコナ+大国主こそ、葦の国シュメール(キエンギ=葦の主の国)からやってきた一族なのでしょう。
ワダツミを綿積とも書きますが、綿=機つまり織物の民族だとしたらユーフラテス川を挟んでウル(牛首)の対岸にあるラガシュ(白鳥)にあたり、天の川伝説&鶴の恩返し説話にも飛び火しますが、ラガシュ=姜姓神農氏説は鹿島昇氏も述べられているところ。
綿花が日本に初めて伝えられたという愛知県西尾市の天竺神社の周辺は古墳が多いのもさることながら、蒲郡にはカボチャが流れ着いた伝承に、アラブ王室の本流とされる高須医院。渥美半島の阿志(アシ=葦)神社は前述した阿知使主を祀る於美阿志神社の流れにして、至近に崑崙系の五郎丸(コロマンデル)という地名まである。
愛知県三河こそはティグリス+ユーフラテス+ナイルの3川の事を示しているのかもしれません。

メソポタミアにまで横道しましたが、天孫降臨から天皇家創始までの微妙な数代に渡るタイムラグ。なぜ天孫降臨した時を初代としないのか個人的に不可解に感じておりましたが、おそらく神農系(カミムスビないしタカミムスビ)を天皇家創設に当たって無視できなかったのと、大国主の影響をなるべく隠すためと言う主目的があったのだろうと見ています。

現在世界を支配しているアブラハムの宗教を基盤とする善悪道徳の基準そのものが言うなればの陸の民のものであり、フェニキアを始めとした海の民たちや海のベドウィン、海洋スキタイといった海洋民族、そこに当然含まれる倭人はどこから現れ、どこへ消えたのか?海を生活の拠点とする人々ゆえ発掘はされねどその重要なキーは口伝によって世界に散り、それを全て繋ぎ合わせた時に、支配者に抹殺された真の歴史が見えるでしょう。
オオモノヌシ→オーモン→ソロモン
と言うことで、ソロモン王に命じられてワニを数える鹿の伝説がマレーにあったり、魚とスッポンが橋を作ってチュモンを助けたりという類型の説話が海洋国家に広く残っている。それより何よりも洪水と方舟の伝説は無い方が珍しいぐらいに世界に類型が広がっていますが、洪水伝説が存在しない珍しい側に日本が含まれているのがまた不思議。
世界あらゆる神話を見出せる日本にあって、これだけ広がった洪水伝説が日本にだけ無い…??
あるいは天孫降臨とは、大洪水の後も山に留まったが、気候変動か何かで山を降りてきた一族の事であり、生き残り繁栄していた海辺の者たちに技術を伝え神格化させた姿であった。それゆえに4大文明と言われる高度な文明が同時多発的に発生し、青銅器や鉄器といった飛躍的な発展がここ三千年程度で起きたと。人類史ン十万年といわれる中にあって、偶然にして奇跡的なシンクロニシティによって、ここ最近急にバズりだした人間のなんと摩訶不思議(笑)
やはり山幸彦が針を亡くしたというのは、兄を陥れるためのウソだったのかもしれません。
明らかにミヌンの父は陸側の人間であり、要求した結納品も餅(バインチュン)に象牙一対に赤い立髪の馬、9の爪を持つ鶏など、海洋民族にとっては得難い品々。
教科書を持ち出して言うのもなんですが、父親の見た目からして頭に羽をつけたスキタイ系の人であり、対する THUY TINHはアクエンアテンを思わせる尖った帽子に、メソポタミア様式の尖った靴。


私のような海人系にとっては生きづらい世の中になりそうですが、どっこい船の上がおらが国。どこへ行っても誰か助けてくれるだろうと言うことで、ベトナム移住を応援します。
耳鳴りの頻度が極端に減りましたヽ(´▽`)/