ベトナムと静岡県

ベトナム静岡県と聞いて、普通はパッとイメージが湧かないと思われます。静岡県民だってそう。

 

しかしベトナムと静岡に妙に縁がある私としては、これまた妙に関係性を感じる点が見えて来ます。

 

まず静岡といえば徳川家。御三家ですね

徳川家康こと松平ナントカさんといえば出世城浜松。

家康も愛したという静岡市駿府城

三大東照宮久能山東照宮静岡市にあります。

そんな徳川家の現在の跡取りは周囲の反対をおしてベトナムの女性と結婚されたそうです。

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その他に、浜松からスタートした旅館で、現在は東京の芝にもホテルがある呉竹グループです。芝といえば増上寺。家康の菩提寺ですね。

この呉竹ホテル、静岡県下に根付いてビジネスホテルを展開していたんですが、何を思ったか海外進出。その第1店舗がベトナムでした。

しかも海外2店舗目もベトナム、それも同じハノイなんです。仕事で宿泊しました。キンマー(新市街地)の方の呉竹インに仕事で泊まりましたが、値段は日本並みで装丁はベトナムクオリティでした。

フロントの日本語レベルはjlpt2~2.5級といったところでしょうか。

 

またまた呉竹ネタで恐縮ですが、先程の葵タワーからも近い呉竹インプレミアムは、レストランが1店舗のみなのはビジネスホテルなら仕方ないとして、それが何故かベトナム料理店だったので笑ってしまいました。

 

そんなこじ付けはさておき、ファン・ボイ・チャウという方をご存知でしょうか。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ファン・ボイ・チャウ (wikipedia)

 

ベトナム独立の父、誰もが認めるベトナムの偉人といえばホー・チ・ミン主席とされていますが、その次に偉い人は誰かというと、この方になるかもしれません。何しろ聞いたことはあるなーぐらいの方が多いはずですから(多分!)

 

そして、このファン氏を支援したのが静岡の浅羽佐喜太郎という人物で、2人の友情と浅羽氏の功績を称えて、ファン氏が死没したベトナム中部のフエは静岡市と友好都市関係を結び、浅羽氏の故郷には記念碑が建てられ、地域の人々に大切にされてきたそうな。

フエのファンボイチャウ記念館には昨年2017の訪越の折にも天皇皇后両陛下が訪れられ、今月27-28日に予定されている静岡行幸の日程にも、浅羽佐喜太郎公記念碑建立100周年の特別展が行われる袋井市郷土資料館にお越しになると知り、行ってみました。

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はたして陛下はベトナムにどんな想いを持って、この度の遠州行幸に来られるのか…

そして暗黒の静岡に課せられた試練とは…??

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追記(12/14)

先述の浅羽佐喜太郎氏とベトナムとの縁を紐解くと、私の家系との縁が繋がります。

 

浅羽翁がベトナム人と節点を持ったキッカケというのも、当時仏印の民主主義運動家であったベトナム人、阮豐貽(グエン・フォンディ)が行き倒れになっていたところを助け、その後も東京同文書院への入学の手筈から学費まで支援したとされています。その縁があってファンボイチャウ氏と知り合い、仏印解放の協力者としてベトナム知日派には知られた存在となりました。

 

私はこれを知って、ナヌっと思うわけです。

東京同文書院といえば、上海の日本人疎開に設立されていた東亜同文書院の分校であり、これまたバリバリのスパイ養成学校であったわけです。卒業論文の代わりに中国奥地を旅して旅行記を提出せよというほどですから、すでに日本の忍者及び術屋が中国全土に仕込みを行なっていたと見るのが妥当でしょう。

かくいう私の曽祖父の出身校であり、大叔父も通っておりました。

 

私の曽祖父は上海の日本人疎開でも最高クラスの旅館と呼ばれた萬歳館のオーナーであり、陸軍系将校がオンリーさん(現地妻)を囲うのによく用いられていたため、軍医だった森鴎外とは家族ぐるみで付き合いをしていたと聞かされました。ほかにも魯迅芥川龍之介、文豪達のサロンでもありました。

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今も往時の面影を残す

 

敗戦して日本に引き上げてからも、英字新聞を毎日購読していた曽祖父の姿は母から聞かされており、今になって思えば戦後も海外系の軍事結社員の一員であったことが伺えます。しかしそれが、なぜに機織りの町、浜松であったのか…

 

つまり、浅羽氏がベトナムの民主主義活動家を静岡で偶然見つけて(行き倒れって…)、何故か上海へと通ずるスパイ養成校への進学を支援するなどというのは、わかる人からみればあからさまなほど、徳川=フランスひいてはベトナムという図式が浮かび上がるのです。

ベトナム=戦前の仏印というと、何の偶然なのか、父方の祖父が進駐していた地でもあります。

銀輪部隊ではなく、自動車部隊で輸送及び兵站維持を指揮していたと聞いています。

 そしてあの気難しく暴力的で、家族を思いやるという意識の無い祖父が、終戦後も祖母と海外旅行で再び訪れたというほどですから、いったいベトナムの地に何をやり残してきたのか、はたまた…

 

 

日月土氏曰く、ベトナム戦争の絵を描いたのは伊藤忠瀬島龍三氏であり、ベトナム戦争で撒かれた枯葉剤は、徳川の忍者部隊の隠れ里こと成田の、731部隊化学兵器だったというのがこれまでの調査で分かっています。枯葉剤でこんなにはならんでしょう…

 

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ホーチミンの戦争資料館に、一見関係の無い成田デモの展示が行われていたミーニングは、こういう訳だったんですね

 

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 あのような悲劇が2度と繰り返されないよう…

 

さらに東亜同文書院は、戦後引き上げた教職員や学生達の受け皿として、愛知県豊橋市の旧陸軍航空隊跡地に愛知大学として設立されました。

 

豊橋については、福田氏の<桜の木になろう>においてコメンテーターとして有名な猫山氏も度々言及なさっている通り、大テ団(あまり浸透していない呼び名…)さん達の中でも重要な地点である事が近年明らかになっております。

なにせ北欧神話にまで飛び火するとは…と言った次第であります。

https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/de7f2d583adaf5249876e4534cc40430

 

ベトナムと静岡、というテーマから若干逸脱しましたが、これからも静岡県及び三河の国の動きに目が離せません。

http://adoi.hatenablog.com/entry/2018/12/14/123529

 

桜エビ、私の母は焼きそばに入れるんですけど、口当たりと匂いがマッチしなくて嫌いです。

滅んでしまってもかまわんよ!!!!(弱デストロイモード発動)

 

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また間違えた