三河、遠州、南信濃に残る伽耶の痕跡と銅鐸 PART1

 

三遠南信道路とは

 

突然ですが三遠南信という言葉をご存知でしょうか。

河、州、南信濃を合わせた地域名で、それぞれ愛知県東部、静岡県西部、長野県南部に相当し、秋葉街道と伊那街道を通じて結びつきの深い地域と言われています。

実際に浜松市民が茶臼山(長野)までスキーに行くこともあれば、豊川稲荷(愛知)に参拝したりと、同じ県である静岡市よりも身近な存在に感じる人も多い。少なくとも沼津や伊豆よりはよっぽど親近感があるのは間違いない。

 

そんな地域に、中央構造線にほぼ沿う形で高速道路を作る計画が目下進行中なのです。

しかしご覧の通りの不自然な遠回り。既存の国道151号を拡幅すれば距離も短くて費用も抑えられるのでは?と思われるでしょう。これには〇〇〇(政治的理由により伏せ字。メルマガにてお伝えします)を通したいという思惑も強い。皇室絡みです。

ただでさえしょっちゅう崩れる青崩峠兵越峠を従える中央構造線沿いの峻険な山を削り、谷を埋めてまでわざわざ遠回り。かつ利用客はそこまで期待できない。さらにはトンネルなのか橋なのか、伊良湖岬から伊勢まで繋げるという無茶としか思えない構想もまだ残っているとか。

 

高速道路=軍用

 

これに似た無茶な道路があります。〇〇市と〇〇を結ぶ〇〇〇〇自動車道がまさにそれ。実際に通ってみても、利用者もまばらで、不自然に高規格でトンネルも高い。完全に戦闘機格納用のシェルター、いやアレなら中型爆撃機も格納できるぞという構造になっています。中央分離帯もほぼ無く、真っ直ぐな区間はそのまま滑走路になる。

そして高速道路ですから、雪だ台風だと理由をつけて閉鎖してしまえば、高い橋脚上では何が行われていようが下から全くわからない。第3次大戦時は首都圏爆撃用のロシア軍機あたりを格納しておくという運用を想定していると予想できます。ただでさえ〇〇は外国人部隊が多く潜伏している場所です。それを暗示するように大きなローマ字の交差点名標識がやけに多い。

 

国防の観点からも道路の整備は本来国家事業で行われるべきであり、滑走路にもなる韓国の広い高速道路や、橋を爆破崩落させて戦車の進軍を防ぐ機構を見てきた私から見た場合、道路開発をほぼ民間に丸投げしている日本の状況は国防意識皆無の、全くもって異常な姿なのです。

この国の政府はとにかく責任を取りたく無いというのは、今回のコロナワクワク騒動でもよく理解できたことでしょう。こすっからいニッポンセイフが、需要不明な無駄道路や不透明な金の流れを追究されないためにそれらを民間が勝手にやったテイにし、そのための規制緩和が官僚の仕事です。

悲しいのは土建屋や地権者に金が入り、利用者も便利になることを求めて反対らしい反対運動が起きない事です(あっても握りつぶされますけど)。かようにして日本の神聖な山々はあなぼこだらけに。

 

三遠南信道路の真の目的は

以上を踏まえ、御巣鷹山周辺の不自然なダム整備や、林道に突然現れる戦車も通れる規格の道路を見てきた人間としての三遠南信道路の目的は、中央構造線をとにかく掘りたい、軍需品および兵力の輸送、地下基地への直結道路の整備、つまりは日本焦土作戦。というのが図星でしょう。やれやれ。

さらには、伊勢湾をぐるっと囲む方にも意味が、というより

これ以上はこの時点ではお口にチャックだ。

 



 

遠州は特殊工業地帯

 

イメージ無いかもしれませんが浜松は工業の街です。

光学機械のホトニクス(ニュートリノを観測)、ヤマハ、スズキの発祥の地にして本社所在地。

さらには本田宗一郎豊田佐吉もざっくり浜松が出身でありますゆえ、ヤマハスズキホンダトヨタと、誰かしらこれらの車&バイクを所有したという方は多いでしょう。

私が住んでいたベトナムもバイク天国。今でこそホンダがぶっちぎりでシェア首位を独走していますが、オシャレさではヤマハエンスーはスズキを選ぶという派閥も。出身地を聞かれたとき、あなたのバイクが作られた街だよ、というと親近感を持ってもらえます。

 

そして浜松といえば楽器。

 

世界のピアノのトップ1、2シェアを占めるヤマハ、カワイも浜松の会社で全て同市で製造されていますし、音楽業界全体の世界シェアで見ると1位はやはりヤマハですが2位は電子楽器のローランド。

フェンダーギブソンといった有名楽器メーカーを差し置いて、世界の楽器業界トップ3は全て、浜松に本社を持つ会社です。

ローランドに至っては創業地の大阪を捨て、市内から離れた不便な地に本社を移しています。何故??

 

浜松が楽器の街になったワケ

 

ブラタモリ解釈に従いますと。

暴れ天竜が作った自然堤防で綿花を栽培していた浜松は機織りの町として栄える

近代になって自動織り機が発達する

織り機の製造修理技術が天竜川の杉材の質と水運の利と相まってピアノ製造に繋がる

現在航空自衛隊の基地がある三方原の台地上に日本初の爆撃機基地(陸軍)が作られる

楽器製造の技術が航空機のプロペラ製作に転用できたため、戦中の贅沢品扱いにもめげずピアノ製造技術が枯れることなく発展して今に至る

 

と、もっともらしいことを言っていましたが、織り機からピアノ製造に至った経緯が無理があると感じるのは私だけでしょうか。

ヤマハを創業した山葉寅楠が輸入オルガンの修理を初めて手がけたのが1887年。その翌年である1888年には日本最初の本格的オルガンの製造に成功した。(※wikipedia調べ)

いくら機械の扱いに長けていたとはいえ、近代音楽の素養があったとも思えない下級武士の3男坊が、たかだか1年で、見よう見まねで、オルガンを一から作るなんという事ができるものでしょうか?。

 

結論から言うと無理です。普通は。

 

韓国を引き合いに出しても仕方ない事ですが、あの国がシャーシ等日本の供与を受けず、完全オリジナルで自動車が作れるようになったのは2007年ごろのことだったと記憶しています。

 

私が韓国の冬季オリンピック誘致プロジェクトに関わっていたときのこと、氷を削って飛ばすだけの単純な韓国産人工雪製造機が、1台壊れ2台壊れ全部壊れ、日本製の雪製造機1台だけで広大なスノボ会場の雪を作っていたのが2009年。現場の重機も現代重工とか書いてあるが、よく見たら塗装に塗りつぶされたTADANOの文字現場に飛び交うドカタ用語。

あぁこの国は日本の技術無しでは何にも作れねぇんだなと思った物です。

しかしそれが普通の国なんです。

 

鉄砲伝来から国産化までが異常に早い国ですよこちらは。

 

音楽都市浜松の起源は2000年前から!?

 

この謎を解くカギ、それがなんと銅鐸だと私は思うのです。

 

銅鐸。皆様も小学校で習ったことでしょう。

なんのためにあったのか、多分祭祀用だろうぐらいの研究成果しかなく、それでいてやけにデカイ、謎の古代遺物です。

 

紀元前2世紀から紀元後2世紀までの約400年の間で作られ、現在まで発掘された総数は500ほど。

西日本に多く見られる近畿式銅鐸(通称サザエさん)に対し、三遠式銅鐸と呼ばれるツルッとしたタイプが三河遠州静岡県西部&愛知県東部)地域では60点が発掘されていますから、中部から西日本にかけて広がっていた銅鐸文化の中では重要なポジションを占める地域と言えるのが浜松と愛知県東部。

私が注目しているのが、漫画宗像教授でも言及されていた、荒神谷(こうじんだに)遺跡の大量出土です。

ここで荒神という単語に注目せざるを得ません。私の見立てでは荒神谷の銅鐸はフェイク。

他所で発掘され、秘蔵されていた銅鐸を当時の地層にわざわ埋めた可能性があると見ています。その理由として

ニセ出雲=島根

真・出雲=三河遠州

の真相を隠すために銅鐸文化の重心を西にシフトする、さらには○○○を〇〇〇〇するための呪詛、ないし暗号報道であったと考えています。

当然、浜松の工業化を推進した原動力には真の出雲の痕跡を人目に晒さないためという付随的な目的があります。

島根県があれだけ発掘が進み古代史の街と言われ、産業が育たないのも逆説的に言うと重要な遺跡(壊さないと都合が悪い)が少ない=工業化を進める必要が無いという事でもあります。

もっとわかりやすく言うと

浜松記紀の歴史(官制日本史)にそぐわない発掘品だらけや!!工場や倉庫を作って隠したろ!!

島根やたら精密な金工品とか鉄剣出土しても韓国近いからまぁええか!!掘ればどっかしら記紀を補填する発掘品出るやろ!!都合悪いもん出て来たら村八分にして抹殺や!!!田舎根性は怖いのうwww

 

折しも浜松市北部、天竜扇状地の北端に宮口という地域があるんですが、知人の歴史専門家G氏によると、『あそこは完全に奈良ですよ!!』と興奮気味だったのが印象深い。さらには、『ここにアラタマっていう地名があるでしょ、ここはアラガヤですよ!』というのには私も目から鱗が落ちる思いだった。

そうか、アラガヤ、荒神信仰、アラハバキ、ここで繋がるかぁ~!!!

さらには先述のミヤグチはミジャグジ信仰。天竜川流域に諏訪神社が点在している点とも符合する。

 

堀谷アラハバキ神社に砥鹿神社のアラハバキ社、そして新東名が狙ったように通した山中の金刀比羅神社の摂社になんと尺地社。

そして火伏せの神として崇敬を集める秋葉神社もそのままアラハバキ。嵐の二宮和也もなぜか植樹している。二本も。

そして天竜🐉🐍

アラハバキミシャグジ がバッチリ組み合わさっているエリアゆえに、南朝の皇子も身を寄せ、井伊谷天皇家も足繁く訪れ、世界企業の創業者を排出する地にならざるを得なかったのは、こここそが伽耶だったから、というのは大胆すぎる仮説だろうか。

さらに、これは少し補足材料に乏しいのですが、天竜扇状地から三方原台地を登り、銅鐸大量出土エリアの谷を降りると細江町というエリアに入るのですが、その中心市街にあるのが指(かなさし)という集落。ローランドが本社を置いているエリアです。

アラガヤと官カヤ、伽耶連合の主要国がこの狭いエリアに二つ揃うわけです。

 

アラハバキ&ミジャグジ&銅鐸出土イメージ分布図

新東名の目的はアラハバキの封印か??

 

 

 

続く