何かのはずみで白髭神社をグーグルマップで検索した折、静岡市の安倍川流域に大量の白髭神社が鎮座していることを知りました。
偶然にも先月、琵琶湖高島の白髭神社本宮に行ったわたくし、調べてみると全国に260ぐらいある白髭神社のうち、50社ぐらいが静岡市にあるという話を聞きました(アバウト)。静岡県でなく、静岡市だけで、ですよ。
白髭の御祭神である猿田彦さんは、以前から日航123便調査に度々関連してきた(澪つくし:1985年、他)こともあり気になっていたのですが、昨年末ごろから再び急浮上。
これは行くっきゃナイト。
ということで
神社の調査というのは難しいもんで、Googleマップで検索しても、当然のようにヒットしない場合があります。YAOKAMIとかいうサイトも非常に適当であてにならない(後述)ため、ここは権威主義になろうと静岡県神社庁のホームページで”白”のつく神社を全てリストアップ。後は現地で出たとこ勝負です。
東海圏ではどこにでもある天白神社や白山神社が少ないながらも点在し、白つながりでなるべく行ってみることに。
その旅行記でもあり、ローカルネタや寒いギャグを織り交ぜながら、選ばれし民のみがその深奥に触れる事ができるようになっているため、帰るなら今です。
1日目
本日の旅程は、ざっくりとこのようになっちょります。Googleマップのタイムラインは便利ナリねぇ〜
なぜか深夜1時に目が覚め、そそくさと出発。朝四時までやっているドンキ藤枝店に寄ったために、本来行く予定のなかった焼津の神社へ行ってみることに
焼津神社
いきなり白髭カンケーねぇじゃん!というお叱りの声はごもっともですが、ヤマトタケさんにも縁の深い焼津は、遠州から駿河に攻め入るに当たって最後の砦であり、 ここでマグロを食っておかなければ静岡勢の桜エビ攻撃に耐える体力が残らないと物の本には書いてあります。私はどっちも好きじゃないので食べませんが。
何よりヤマトタケさんといえば”白”鳥伝説ではありませんか。サルタヒコ=澪の君とは何かとリンクしてくるのですよ。
123便もあの日飛来した高草山を従える焼津の地にて、かつてヤマタケさんは何をしたのか…
焼津は駅前にも温泉が湧くほどで、コンパクトな街にヤマタケ関連の史跡が集まっていて観光する上でも、まぁいいんじゃないでしょうか。
朝4時半に参拝していたらパトカーがやってきて職務質問されました。こんなに明るいのに賽銭ドロボーもないもんだ。
大崩海岸
虚空蔵山を抜けて海沿いを行くと大崩海岸を一望できる駐車場があります。晴れた日は伊豆半島もくっきり見えるとか。
この駿河湾の深い海底のさらに下、フィリピン海プレートとユーラシアプレートがぶつかり合ってるとか言うけどさぁ…
実際見たの?それ
小豆川古墳群
まだ白髭出てこないのかよ!いい加減にしろ!!というご意見もありましょうが、やはり古墳ですよ。安倍川の河口は古墳銀座であります。ここから東へちょっと行ったところに白髭神社がありますのでしばしのお付き合いを。
要は、この辺りのこんもりした山はほとんど古墳なんですよ、やばくね?というものです。なるほどどうして
国道一号バイパスで静岡市街地へ行く際に降りる丸子(まりこ)はトロロご飯が有名な地域です。静岡は異常なほどに坂がないんです。坂が無くて、市街地にいきなり古墳がドン!お椀型の山がドン!三角山がDonDon!!今話題のハッピーグルメ弁当である。町田にも出店しているらしい(驚愕)ので、関東民にも是非静岡の誇りを味わってほしいですね。あのCMは伝説となっています。
実は大して郷土愛ないんですけどね私
手越原白髭神社
小豆川古墳から東へ500メートルほどの市街地に、ようやく本来の目的の白髭神社を見る。ここまで1700文字を費やした。本当に申し訳ない。
安倍川の西側のためそれほど都市部とはいえないが、東海道に面した神社であり往古より人々の往来を見守っていたであろう雰囲気が伺える。鳥居が面している3車線道路は時間帯によって中央線が変わるタイプであり、国1丸子インターで降りたであろう車たちが市内へと気ぜわしく煤煙を振りまき往く。
よくある街中の、公園兼公会堂兼神社だなと思って神社の縁起を見てみるとビックリ
まず、祭神が武内宿禰とあって、エエッとなるわけです。
記紀に詳しい人にとっても謎の人物とされている武内さんですが、我々にとってはヤマタケさんとセットで何かと話題に昇る方でもあるわけです。
それがここにきて、白髭の名で祀られている…
まぁそんな事も…あるかな?
ちなみに言い伝えにある長田というのはこの辺りを広く長田と呼んで、駿河区の役所も長田支所です。白髭と長田、これ後でも関係してきますので、覚えて。
猿郷古墳群
先ほどの地図で赤色でポイントを付けた所にこの古墳があります。住所で言うと駿河区向敷地となるようですが、ここも長田エリアと言えるでしょう。そんなところに猿の名を冠した古墳があるとなっては、チェックしないわけにはいかんと思いきや、入り口は立ち入り禁止になってしまっています。
しかし横に回ると、普通に柵が無く入れてしまうので、これは“車”は入るなという事と解釈。2016年に国指定史跡にされているようだし、企業の敷地にも見えないので入ってみる。
安倍川の河岸段丘上に50メートル級の前方後円墳をはじめ円墳8基と言うことになっているが、全然わかりましぇん。古墳オーラはビンビンに感じるのだが、こうまで管理されていないと厳しいものがある。
おそらく潰すと祟られるタイプで、工場も宅地も作れない部類。かつあまり見られたく無い部類のものでしょう。掘れば変なものがザックザック出そうなロケーションですよ。
千代白髭神社
猿郷古墳から北へ2キロ、千代と書いてセンダイと読ませる地域に白髭神社はあります。藁科川を渡って北側の、安倍川と合流するエリアは機織や羽鳥と書いてハトリと読ませる建物をやたらと見かけますが、一概に渡来系と思えない雰囲気を感じます。藁科川上流の白髭は後日に回し、とにかく安倍川を遡上しようということで
しかし道を間違えて相当な藪漕ぎをし、小さい尾根を越えた先に神域はありました。おそらくこちらが元宮。社の基壇のようなものがありました。
所在地:静岡市葵区千代646?(神社庁データママ)今宮の住所は2丁目21
今宮はなんという事はない感じです。新しく、小さな集落のわりには小綺麗にされていて、周辺企業からも金や人が出ていそう。元宮、というか千代山が目的でしょう。山の反対側は大規模な火葬場に採石場、慈悲尾(しいのお)という地名。この山何かある。
B29慰霊碑
さて千代白髭神社を後にし、安倍川を渡り賤機山(しずはたやま)へ。
静岡の名の由来ともされる賤機山は、麓に悪趣味立派な浅間神社もあるわ、古墳も多いわな山で、前述の通り丘陵が無くいきなり平地にドンな山です。
そんな山の中に、安倍川で墜落した米軍B29の搭乗者の霊を鎮めるための観音像があります。私も今回が初でした。
ハイキングコースになっていて、マスク姿でトレイルランをする命知らずがひきもきらない状況ですが、手を合わせて行く方は皆無でした。
こんな所に毎年米軍を呼んで慰霊祭をしているというんだから、在日米軍としても重要な場所であることがわかります。何しろ横田空域のすぐ隣、糸魚川静岡構造線のド真ん中でありますから、そりゃ軍機も落ちるわい、と。漢字の碑文が読める米兵が居ても内容的に読ませたく無い、日米友好をあまり感じられないスポットでした。
新伝馬白髭神社
賤機山を降りて次へ向かったのは、住宅地の白髭神社
鳥居の前に参道もなく家が遮っていたり、隣保が丸見えの微妙な立地。さらに敷地に入るや無断駐車禁止という看板がいくつもあって落ち着かない。
路地の狭い市街地だから勝手に駐車する帰省客等が多いのだろうが、静岡の神社は田舎でも駐車スペースが乏しい。狛犬も少なく、あったとしても岡崎型と呼ばれるもので狛犬マニアからは不毛の地らしいです。
またも来ました宿禰さん!! しかもタテウチて!
八街彦が祀られている点でも猿田彦感が強いながらも、なぜに。
ぶっちゃけ祭神はあまりアテにならないんですけど、勧請した地域との結びつきとかを知る上で参考にはなりますし、千葉のソバタカ神社のように一点に幾つも集中していたりすると何かと面白いことが解るんですヨ。
松富白髭神社
伝馬町から北へ、再び賤機山方面へ
所在地:静岡市葵区松富2丁目9−3(グーグルマップ上の地図番地より、ゼンリンでは2丁目8ー1に)
静岡県神社庁のホームページ上では静岡市葵区松富上組920とあるも、そのまま検索しても番地は表示されない。そもそも松富上組には白髭神社は無く、番地もどう考えても900なんて無いのである。旧番地をそのまま引き継いでいる神社庁の体質もだが、宗教法人を利用した税金逃れの闇を見た気がする。
どうにも古墳ぽいフォルム。賤機山だから他にもいっくらでも古墳がありそうなもんだが、こういう時に神社というのは『神聖な場所だかラァ!』という言い訳が通るので便利なものだ。掘らせてくれねぇでやんの
やはり来ました宿禰さん。確かに200何年も生きたから長生きだし白い髭も生えていたろうが、白髭=竹内宿禰というのはちょっと結びつかない。調べてみると長崎県にも竹内宿禰を主祭神とする白髭は何社かあるようだが…
Yaokamiとかいうサイトは白髭神社=猿田彦と決めてかかっているので全くアテになりません。やはり現地に来てみねば。
与一白髭神社
さて次は安倍川沿いに出てみると立派な免許センターがあり、堤防の下に隠れるように白髭さんはいた
出ましたここでも宿禰さん。この時点で興奮マックスである。縁起板なぞ期待もしていなかった小さな社なのに、見ろとばかりにタケウチじゃぁセオリツじゃあ。
あとは堤防を散策し、安倍川の流れを見たりしましたが、木に変なものが…
私物が何なのかもわからないが、私物をこんな所に置いていて盗まれたんなら置く方が悪いと思うぞ。どう見ても市の土地だし、もう全体的にわからん。ドロボーへ の字の力強さが個人的にツボである。
三輪神社
さて、お次は名前からして出雲系の三輪神社へ
安倍川を挟んで反対側に美和という地名があり、そこにも白髭神社があるんですがそちらは後回し。
掃除はされているんだけど、どうもとっちらかってる印象。静岡の人はおおらかなので、あまり頓着ないんでしょうね。縁起板もなければ、コレといった祠等もなし。
猿田川へ
そこから東へ行くと巴川の支流で猿田川という小さな川があり、新東名の橋に猿田の名が冠せられているということで行ってみました
とにかく新東名は無茶な道路で、あらゆる山を削り、深い谷に橋かけ必死になって作ったという印象。これなどはまだヌルい方です。まん延防止の美辞麗句の下に週末割引を中止、実質値上げする始末。道路公団の商売根性には脱帽です。
民家も数件しかなく、先は行き止まりのためほとんど車は通りません。
山を降りて山側を撮影。茶色い建物は静岡では大きな病院で、こども病院は木村拓哉の娘が精神病の治療のために通院していたとか。私の後輩もTSUTAYAでキムタクを見たと言っていました。
白澤神社
またも白つながりで。なにせ百という漢字から1を引いたら白になる。つまり白=九十九となりツクモなのです。九十九里浜に椿海ですよ。
地主神なのに社もなく、粗末なもんである。境内駐車禁止となっていたりロープが張ってあったりと、全くウェルカム感はない。きれいな心(お賽銭)ありがとう(わかってるよな)、という事か。
油山白髭神社
さてようやく山の中のディープな白髭エリアへと足を踏み入れることになりました。
綺麗な円墳上に建てられた神社には半鐘も残っており、隣には消防団の基地もある。かつて周辺を開拓した際の残土を集め、そこに王をとむらったであろうイメージが伝わります。古墳は権力の誇示とか言われますが、残土の有効利用でもあったわけです。隣には寺と墓地もあり。
松野白髭神社
油山白髭から北北東へ約1キロ。
近くにザル蕎麦と焼き味噌しか出さないというこだわりの蕎麦屋があるもののグッとこらえて、ドンキで買ったクラッカーや柿ピーで飢えをしのぐ。
前日深夜1時に起きたのもあり、ここまでの疲れもあって1時間ほど仮眠。神社の木陰はありがたいですね。
野田平白髭神社
グッドモーニングシズオカ。暑さにうなされながらとはいえ、1時間寝ただけでも割とスッキリ。意気揚々と車を北へとはしらせる。この時点で1時を回っていました。
こんな山がゴロゴロしていて、だいたい狙ったように山頂に送電線を立てているのが安倍川です。
車は丘陵部を登り…
市内でも唯一、オクリガミの風習が残るというここ野田平に白髭さんはありました
衛星写真で見ても、あたりは一面の茶畑です。
棚田にするには水が足りないだろうし、平地が少ないから茶ぐらいしか作れないとはいえ、静岡はほんとチャチャチャです。
落合白髭神社
さて安倍川本流から、支流の中河内川へと入り、最初の白髭さん
ここが実にパワーが感じられる所で、切り通してしまっているものの形状的にも150m級前方後円墳の可能性があります。
登った所にまず忠魂碑。そこまで重くないのは、こちらの方のパワーゆえか
本殿へはさらに少し登ります。やはり古墳の後円部っぽい
絢爛さもなくケレン味もない、それでいて力強い印象です。ここはご挨拶せねばと、酒をお供えし祝詞を奏上しました。
神社西側には広い河川敷が広がり、許可さえあればキャンプなどしたくなる素晴らしい場所です。
小学校からは子供達の笑い声が聞こえ、地域には小さいながらもおでん屋さんもあるようです。季節になればひまわり畑が広がり、どこかホッとする里山の風情。
奥池ヶ谷白髭神社?
車は中河内川を北上し、いけ好かないディスティラリーを越えつつ走ること約10分。狭い交差点を曲がると昔ながらの山間の集落といった風情に。しかし事前にマップで確認した通り神社らしい建物はやはりない。
人も居ないし聞き込みもできないが神社庁のマップで見た限りでもこのコンモリにやはり間違いない。しかし民家が塞いでいて登ることもできないため、丘陵北側へと廻る
ボタ山に草が生えたようにしか見えないがしかし、木が生えている上に規模の大きさからかつては神社があってもおかしくないが…期待しないで進むと
見事に伐採されている。突端には小さな祠があるだけ
こんな小山の上に水道の蛇口があるぐらいなので神社があったとしか思えないが、あの小さな祠だけもって白髭神社なのか。だとしたら白髭史上ナンバーワンの安っぽさだ。基壇らしきものも無いし、改築のための伐採とも思えないしなんなんだ。祠だけ残して税金対策か?
周囲にはいけ好かないキャンプ場(おそらく私設)にチャラいアメ車が止まっているし、もう全体的にいけすかねぇ! ただ道沿いに公衆トイレもあったりバーベキュー場もあったり、にわかアウトドアらーや家族での行楽には便利なエリアと言えるでしょう。
所在地:静岡県静岡市葵区奥池ケ谷29(神社庁ママ、ゼンリン地図では40番台以下の番地はそもそも無い)
長妻田白髭神社
肩透かしを食らったものの、次はストリートビューでも見られるぐらいのハッキリ神社なので、気をとりなおして出発。途中送電線が集中する山深いエリアを経ながら、直線距離で約2キロ北上、よくある山道の小さな神社が出迎える。
ここに来る途中にもキャンプ場を発見。女子キャンや一人キャンプやらをやけに推して流行らそうとしている昨今。人さらいには精々注意すべし。
油野白髭神社(見つからず)
そこからすぐ近くの油野(ユンノと読むらしい)という集落にも白髭があるはず。しかし衛星写真で見てもまた無さそうな気配。第一村人の老夫婦に聞いてみると、もう何年もほっとかれていて、今は建物が残っているだけじゃ無いかな、とのこと。
跡地でもなんでもいいです。むしろ荒れ果てた神社が好物ですという私、アタリをつけていた場所が住民の証言とも一致するので山に入るものの、神隠しのように見つからないのでした。
聞くと、もう人も都会へ出て行っちゃって居ないし、この辺のお祭りも落合の白髭神社で2年に一回やるだけになっちゃった、とのことでした。
良い所なのに…汚い都会の狭いアパートや建売住宅に、そこまで住みたいもんかね。
上落合白髭神社
そこから車で数分という所に川が交差するエリアがあり、橋の手前に白髭神社を発見。
中河内川の白髭神社はひとまずこれで全て巡った(筈)ので、さらに支流の仙俣川へと入り遡上します。
ちなみにこのまま中河内川を遡上すると大井川へ行けます。
かたやダムだらけ&リニアのせいで干上がりかけている川、その東にはダムが一つもない安倍川水系。自然破壊大好きな日本の行政の中で一つも発電ダムが無い安倍川、謎です。
口仙俣白髭神社
もう四時を周り、普段ならそろそろ今日の宿りをどうするか考えないといけない時間ですがまだまだ明るい。
しかし次の神社がまた曲者で、地図上にはハッキリ白髭神社とヒットするものの、完全に川の反対側で橋らしきものも無いんです。
また見つからないパターンかな…と思って、それらしき対岸に車を停めて川の向こう側を見てみると…
木々の梢に隠れながらも、鳥居が、そこに確かにあるではありませんか。
やはりゼンリン地図は間違ってなかったか!と冷静になって辺りを見回すと
そこには確かにハッキリと白髭神社と彫られていた。もしかしたら、昔ここから川辺へと至る階段があったのかもしれないが、ヤブは繁々だしケモノ道すらない。ツナギに地下足袋というスタイルであっても、いっちょ降りてみようとは思えない絶壁となっていました。
一体なぜこんな所に神社を作ったのか甚だ謎である。ちょっと岩を飛び越えて渡れるような沢ではなく、結構な谷である。
周辺住民に事情を聞きたくても、当然というか誰もこない。仕事を終えたらしき土建の車両が4台ほど川上から降りて来るのみであるが、こんなところで何を建設してるというのだろう。
集落を散策してみる
地蔵やらが安置してある庵?の横に公衆電話。なんだろう、こんな山奥で公衆電話って。
昔は…と行っても案外ここ数十年前まで各家庭に電話が無くて、ここまできて電話をかけていたのだろうか。集落の家の様相から見ても、失礼だが豊かとは思えない。
山道を走っていると『どうやって生計立ててるんだ?』というような辺鄙な所に集落があったり、また家がやけに立派だったりする(某南相木村 みたいな)ことを思えば、逆にこれが当たり前だし、危険レーダーも作動しなくて落ちつけるのですが。
さっきのはお堂前広場だったんですね。いよいよ村人たちにとって白髭神社はどういう存在なんだろう…
長熊白髭神社
中河内川へと再び戻り、玉川地区と呼ばれるエリアの白髭さんです。立地的に荒れていそうな予感がしましたが、思いの外敷地も広く綺麗にされていました。
落合白髭神社
川の蛇行部ではなく、見晴らしの良いロードサイドの神社で、小沢が川に注ぎ込む隣に建てられています。しかし金がないようで、社殿の補修が全くなされていません。
柱が傾いちゃってます。
西河内川上流にも数社白髭神社があり、天狗山という気になる名前の山があるのですが、もう5時半を過ぎているため後日に回し、残りの安倍川中河内川の合流地点の2社を巡って今日は店じまいと決めました。
相淵白髭神社
安倍川本流西岸へ。源流に向かうのは東岸の県道29号。相淵集落には赤い吊り橋がかかっている。
これがなかなか揺れるんです
集落の奥の山っぺりに建てられた白髭さん。基本的に山の中の神社は観光客が来るでもないので縁起板は無いです。住民に聞いても白髭さんとしか呼ばれていないため、主祭神が誰か聞いても、猿田彦や竹内宿禰の名前を出してもポカーンという感じでした。
中沢白髭神社
相淵から少し降り、川の出会いを見守るように鎮座。
時間はもう6時半になろうとしているため、流石にここで今日は終了。安倍川を源流方面へと登った所に有東木(うとうぎ)という観光開発されているっぽい所を今日の宿にしました。
2日目に続く↓
https://yoshikawahiko.hatenablog.com/entry/2021/06/14/170937