https://yoshikawahiko.hatenablog.com/entry/2021/06/11/012703
1日目↑
おはよぉ〜うございます。私のワゴン車は特にカーテンとかも無いので、空が白むと同時に目が覚めてしまいます。故に4時半起床
有東木の白髭神社前に展望台があったのでそこで寝ました。2021年6月上旬でしたが、暑くも寒くもなく、また梅雨ってなんだっけ??というぐらいの連日快晴。山の空気に包まれてぐっすり眠る事が出来ました。さぁ今日も引き続き、静岡の白髭神社を巡るっちゃけんね。
- 今日のルート
- 有東木白髭神社
- 入島白髭神社
- 梅が島 安倍峠 湯之神社
- TOTO
- 中平白髭神社
- 平野白髭神社
- 横山白髭神社
- 俵峰白髭神社
- 油島白髭神社
- 足坏神社
- 小塚谷白髭神社
- 瓦場町白髭神社
- 上足洗白髭神社
今日のルート
夜は約束があるので安倍川をメインに、市内をいくつかクリアしたい。今日はのんびり行きましょうかというカンジでぇ〜
有東木白髭神社
樹齢500年とも600年とも言われる立派な杉は市の天然記念物になっているほどで、そんなんが10本も生えているのはかなり壮観。やはり縁起板は無いがネット情報によるとやはり竹内宿禰らしいです。
ワサビが有名らしく、沢に沿って延々とワサビ田が段を為していました。気の利いた飲食店もあるようで、後述の温泉と合わせて安倍川の貴重な観光資源。
入島白髭神社
随分北上したことになる。緯度でいうと愛知の瀬戸市とか箱根湯本ぐらい。橋を渡った所に若干見つけづらい神社を発見
かなり急な階段を登った先に本殿がありました。見事な彫り細工は獏もしっかりと。
梅が島 安倍峠 湯之神社
おそらく静岡県最北の白髭神社をさらに北上すると、梅が島温泉の保養地があります。
しかし相当源流まで近づいてもこの川幅の広さですよ奥さん。
1707年の宝永地震で起きた大谷崩の影響が今でも残っているらしく、砂防ダムなんか作ってもすぐ埋まっちゃうと横山のおじいちゃん(後述)が言っていた通り、砂混じりの濁った水流が安倍川の特徴。
山梨県側へと抜けられる安倍峠は通行止め。
2018年に7年ぶりに開通したはずが、またも崩落で通れないって、なめとんのかい。
相当無理な山道を通したのだろうが、なにせ山梨側はすぐ身延である。何か企んでいる可能性も捨てきれない。
湯之神社があったので参拝してみる
甲斐国に島流しされていた良純親王(後陽成天皇の第8皇子)が3匹の蛇に導かれてこの温泉を見つけ、みるみる傷が癒えたことで神宝を奉り湯之宮三蛇権現と称されていたとか、それっぽい言われが書かれている。ネット情報にもその他の御祭神は明らかでは無いが、湯之宮で検索すると宮崎の新田原基地の至近に猿田彦を祀る湯之宮神社があるという。覚えとこ。
TOTO
安倍川源流まで来たから後は南下じゃあ!時間の都合でスルーした安倍川流域の白髭神社を制覇すべく川を下り、来たときも気になっていた山に魚魚(とと)の里とかいう食堂兼釣り堀兼な町おこし施設があるので行ってみると
山の手前にやけにこんもりと丘があるではござんせんか。登ってみると
どうも前方後円墳としか思えないフォルムなんです。流石に露骨すぎると思ってか土を少し足してただの小山に見せかけているけど、私の古墳レーダーはビンビンなのです。たとえ盛り土だとしても前方後円墳チックにわざわざ作ったとしたら、その意図が知りたい。
たとえ古墳があったとしてもこんな海から何キロも離れたかつての峡谷に古墳があったとはアカデミズムも当然認めたがらないはずですし、魚といえばキリストを意味する。バンドのTOTOは1985年に来日した際、最初のライブは静岡で行ったのだから(だから何だ)
車止めのマンボウモニュメント
逆光で見づらいですが、魚魚の里へ行くために渡る橋は白鳥大橋というのも、あやC
中平白髭神社
途中水力発電所の建設現場を見て
TOTONOSATOから車で15分ほどの所の白髭神社はそれなりの規模でした
石碑もあったり高低差もあったりで、色々やってる感じはあるが、バス停からも近く地場物産を売る小さな店もあったり釣り堀もあったりという集落
平野白髭神社
そこから5分ほど川を下ると、川沿いに切り立った丘陵が見えてくる。間違いなく次の白髭はココだ
大河内というエリアらしく、イタリア料理屋もあったり生涯学習交流スペースがあったりという、割とひらけた集落でした。
横山白髭神社
グーグルマップには出てこないがゼンリン地図には白髭神社とある。
しかし車が通れそうな参道が一見なさそうなため、墓地前に車を止めて登って行くと、鳥居の前で何やら作業をしているサングラス姿のおじいちゃんと出会う。
聞けば神社のあるこの山はおじいちゃんの持ち物で、白髭の隣に津島さんを祀ってあったり、津島の神紋に似ているからという理由でこの集落ではキュウリを作ってはいけないとか、色々と面白い話をしてくださいました。
結局小一時間は話し込むも、6割はお孫さんの自慢💦後の4割は静岡市政とか大谷崩とか香田文とか木の話とか山の話、田んぼを10メートル掘ってもまた田んぼが出てくるとか。とにかく大谷崩が起きる前は相当深い峡谷があって、それを悉く土砂が埋め尽くした結果、これだけ河幅が広いということがわかりました。
しかしお孫さん、こんな山の中で塾も通わずに育って、ゲームやテレビにも興味を持たせず山の下草刈りや薪割りをさせていると自分で勉強がしたくなるのだろうか、お孫さんは京大が目指せるレベルの偏差値だったとか。160センチそこらのおじいちゃんの孫が185センチの堂々たる偉丈夫に育ち、アメリカ留学までするもんですからわからんもんだ。数学科で修士課程をとってSEの道に進んだということですから、ぜひ欲しい人材です。
仕事のお邪魔をしてしまいました。山用モノレールに颯爽と乗り込み薪を取りに行くおじいちゃん。いいなぁ。山欲しいなぁ。
神社よりも、石碑が建っているこの大岩がすごいんです。おじいちゃん曰く、南に行った沢にもっと馬鹿でかい岩があるとのことでしたが、見つかりませんでした(>_<)
俵峰白髭神社
かなりのつづら折り&傾斜を超えて、静岡のマチュピチュと言ってもいいぐらいの所に集落があり、そこにも白髭神社がありました。こんな所どうやって開拓したんだというような秘境感です。
わさびも作っている綺麗な沢。こんな所に山持ってたら楽しいだろうなあ。管理は大変でもさ
気になるコンモリがあちこちにあるため、なかなか見つけづらい神社でした。ここに食堂兼民宿でもあればまた泊まりにきたいけど、厳しいだろうな。安倍川まで出るのに15分もかかるのは地味にね。すれ違う原チャリおじさんが手を降ってくれ(人違いしたのか?)、なんだか嬉しいそんな村でした。
油島白髭神社
俵峰を降りたところにも白髭があるとのことでしたが、地図で見てもそれらしいのは寺しかない。そこの墓地もすごい急斜面に作ったもんだというものでしたけど。万策尽きたと思っていたところ、村人個人が作ったであろう案内板があったので読んでみると
ご丁寧に英語でもSHIRAHIGE SHRINE!!!
説明を読むと『本神社は白髭、牛頭天王、水神の三社を祭っており1433年の戦などで氏子がいなくなり廃壊していたのを1674年に再興したとある』とのこと。また元旦に新年会、6月の農上祭り、10月17日の秋の大祭の三行事が行われるとある通り、10月17日は白髭にとって重要な日付なのかやけに見かける。なんでしょうね。十十七、10107、117…
案内板がなければとてもたどり着けない、畑の奥にありました。誰かわからないがオラが村を誇る村人さんに感謝です。
菊の絵馬が奉納されているのが気になる。
菊といえばホツマツタエでも心身を浄化してくれる素晴らしい食べ物とあるし、白山神社の祭神であるキクリヒメも謎の神様とされている。
つがいの鶏に赤菊。
赤菊の花言葉は「あなたを愛します」だとか。珍しいけども、愛の告白にピッタリでは。しかも菊は9月9日の誕生花なんですって。やっぱり九十九じゃないか!ククりヒメじゃないか!!
足坏神社
さてオクシズエリアの白髭巡りも済み、ひっさしぶりにコンビニを見かける。文明世界へと帰ってきた。足久保川へと入った先に名前が気になる神社があるので行って見ました。
ほんとだ、こりゃ赤い!
その名もアシツギ神社といい、ネット情報によるとかつてはここも白髭神社を名乗っていたとか。社の前を流れる足久保川を安倍川本流方面へと下ると諸川池があり、右手には美和という集落まで見えてくる。
足坏神社も白澤神社も式内社であり、川に出たらすぐ美和エリアが広がる。
一般的ではない学説だが、正統出雲を乗っ取り天神系や熊野系と合流(排出?)し、天皇家に匹敵する勢力を築いた言うなれば偽出雲という勢力があるという。なので皆が出雲といえば認識する島根県の方は、偽出雲達による比較的新しい都ではというのは私にとって非常に腑に落ちやすい話。
個人的には出雲はどうも暗ぼったくて陰気臭い(もちろん山陰もよく行ったし好きですよ)ゆえ、そんな所をオオクニヌシが開拓したところで中央が疎んじるだろうか??という違和感は大学生の頃から感じていました。東三河、遠州に本来の出雲があり、それがいつ偽物に成り代わったのかは駿河の神社史にカギがあるかもしれないというのが私の狙いでした。
そう仮定すると、延喜式が書かれた今から1000年ほど前まで、まだ安倍川上流は正統出雲の権勢が残っており、猿田彦を意味する天狗山を神聖な山と遥拝し、トの教えを重視する正統出雲達の最終防衛ラインが美和および賤機山だったのではという見方もできる。
静岡、特に河川流域に白髭が多いのも縄文以来の日本人の伝えが根付いている地域だからであり、かつて海だっただろう平野部にもあるのは山の民が持ってきたものか。それなら猿田彦を抹殺して竹内宿禰を祀るのも納得がいく。
白澤、白沢という名前も栃木の方では白髭と結びつく伝承があるらしいが、三国志は実は日本史説に乗っ取れば、瑞獣のハクタクが由来でもおかしくない。
小塚谷白髭神社
アシツギの内容↑は意味不明で飛ばした方も多いかもしれませんね。白髭に戻ります。(神)黒霧のブロマガ読者さんなら『なるほどねぇ』と言ってもらえる内容かもしれません。別に頻繁なブロマガ購読をお願いする広告なんかじゃありませんからァ!!
完全に住宅地の神社で駐車スペースもゼロだったので路駐しましたが、この美和地区、山がおかしいんです
何度も言いますが静岡市は、坂が無く平地に山がイキナリDON。ここはその最たるものといえます。なんですかこの急傾斜、バカじゃないの。
こんな所に通しているんです新東名は。何を狙っているのか非常にわかりやすい。
国土地理院の傾斜量図で見るとわかりやすいのですが、静岡市内周辺の山は浜松と比較して真っ黒、つまり突然ドンとそびえているのです。浜松も磐田も市街地にそれなりに坂があるのに静岡はもう皆無と言って問題ありません。
瓦場町白髭神社
さてグッと静岡市内へと入ってきて、市内にドンと鎮座する谷津山の麓の白髭神社です
もはや拝殿?はただの家です。公会堂です。郵便受けをそのまま賽銭箱シュートとして使っているアイディアは、ちょっとうまいと思いました。
拝殿(老人集いの家)の裏に、いちおう本殿?なのか??
静岡では白鬚=老人の寄り合いという認識なのかもしれない
寺とくっついてました
この谷津山も県下最大級の前方後円墳があったり護国神社があったりで。かくいう私も自衛隊試験をここまで受けに来て入隊したんです。
上足洗白髭神社
瓦場町から北へ1キロ強、静岡市立高校(そのまんま美川の出身校)の交差点近くの白髭神社
ここではタケシウチとな!!
夜は静岡在住の大学時代の後輩と3年ぶりに会って一杯やりました。まん延防止というバカバカしいイベントに同調しない素晴らしい静岡シティは浜松よりも垢抜けている。浜松なんて遠鉄百貨店しかないのに、ここではパルコに松坂屋に伊勢丹まであるのだ…
なのに静岡市民は寝るのが早く、どんな怪物深夜番組も静岡では成功しないことで有名。浜松人の私から見てもノンビリしていて、余所者がデカいツラしても文句一つ言われないのだから金儲けするには最高な町だと横山のじいちゃんも言っていました。
後輩も頭の良い人なので、矛盾を感じながらも警察官という立場上日々マスクをして勤務し、ウィルス騒ぎ、ワクチン騒ぎを冷ややかに見ていました。与謝野晶子が『死にたまふことなかれ』と言って批難された時代がかつて日本にあったなど、果たして平和平等主義者の後輩君には信じられなかったのが、昨今のマスク同調圧力を見てようやく理解できたと。
そうなんだよなぁ、はだしのゲンで戦争に反対するゲン一家を非国民じゃーと騒いでいた一般市民たちを笑えないのが今の日本人たちだよなと。
とはいえ食べ物はうまいしノーマスクでも当然何も言われない、居酒屋で飲んでいたら10年ぶりに逆ナンされるし、良い町じゃないか静岡。人も。
3日目へと続く!!↓
https://yoshikawahiko.hatenablog.com/entry/2021/06/14/171104