祝? 大泉洋、紅白司会抜擢!

 

今年の紅白歌合戦の司会に任命された大泉洋さん。大泉ファン(というよりどうでしょうファン)である私にとり、あまりの大抜擢に「さすが大泉先生!」と思う反面、「今お前騙されてんだよ」と、某ディレクターばりに哀れみを感じている次第であります。

流行に流されてたまるか!という陰謀論者やスピリチャリスト及び工作員が過半を占めるであろう私のブログ読者様にとってはあまり馴染みがなさそうな大泉さん。

この記事では、大泉先生(のボヤキ芸)のファンである元情報本部自衛官による、裏の視点から見た先生及び氏を取り巻く人間関係について思う事を書こうかと。

 

人間模様

大泉洋といえば、”水曜どうでしょう”無くしては語れません。水曜どうでしょうとは何かというと、1996年より北海島テレビ(HTB)にて放送されている旅番組であり、主要キャラクターはご存知大泉洋鈴井貴之(映画監督、大泉が所属するタレント事務所オフィスキューの会長、等)、藤村ディレクター嬉野カメラマンの四名。
2002年までの6年間は毎週水曜夜に北海道にて放送され、地方局には考えられない海外ロケ、大泉洋のボヤキ、それを生み出す鈴井及びディレクター陣による斬新な企画(無茶無謀)により、人気は北海道から全国区へ。
その他にも、やはり全国区の人気を得るに至った怪優こと安田顕ONちゃん)をはじめ劇団NACSメンバー、おやびん小松、土井プロデューサー、ハナタレキャップ(現在HTB取締役)といった素敵な仲間たちが彩りを添え、現在でも数年に1度のペースで放送され、現在は全国でその勇姿を見ることができる。

水曜どうでしょうを愛するファンたちは自らを”藩士”と呼び、VHSの時代から口コミで各地にファンの輪を広げ、ステッカーを車に貼り、DVDが発売される度にローソンへと駆け込む。

私は藩士と呼ぶにもおこがましいレベルだが、ロケ地巡りに聖地巡礼(旧HTB本社)に、NETFLIXで何十回とリピートし、ベトナム語字幕で語学の勉強にも役立てている、そんな水曜どうでしょう

まさにカルト的と評価されるその人気は、ひとえにテレビマンらしからぬ藤村及び嬉野ディレクターによる良い意味での適当さ、型にはめないスタイルであり、それに対してボヤく大泉洋(唯一の”体制派")、そしてそんな大泉を見て爆笑する藤村Dにつられて笑う視聴者、その構図に尽きる。


私が、”世の中の流行は基本的に作られている”ことを悟ったのは中高生の頃だったか。
クラスメイトが見ているテレビ番組の低俗さにはついていけず、はやりのファッションはどれもダサイ。街を賑わすヒットソングは聞くに耐えない雑音。傾倒したニュース報道。
大学生になって広告代理店という存在を知ると、ああやっぱりこういう人達が金の力ではやらせてるんだなという事を知り、今まで感じた”流行”への違和感に納得する。

そんな私でも認める面白さ、それが水曜どうでしょうであり、大泉洋安田顕が全国区の俳優となったのもどうでしょうあっての物だという事に異論はないでしょう。

それが天下のNHK紅白歌合戦、その司会に選ばれた!と伝える同じくファンである私の母の興奮を尻目に、「ああ、先生もついにやられてしまったか…」と。そして、やはり水曜どうでしょうが全国レベルの知名度まで祭り上げられたのも、裏のプランあってのものだった事を確信してしまったという悲しみ。


では何故そう思うのかという点を列記して行きましょうか

 

意外と宗教色


メイン出演者(ディレクターも実質出演者)四人の内、二人が(おそらく)檀家及び氏子を持つ宗教家の出自である点。
北海道江別出身の大泉洋は親が神主であり、佐賀出身の嬉野カメラマンは実家が寺であり坊主を継いでいた可能性もあった。この2人がロケ中道中のホテルでも同室になる事が多く、残り2人は何やら策謀を巡らしている。

そして日本全国を高速バスやカブで巡り、海外も南米と南極を除く4大陸を制覇するという、地方局では考えられないフットワークでありながら、四国88ヶ所巡りは3回も回っているのである。
建前としては、受験生達の必勝を祈願するという名目で、レンタカーで数日で全寺を回るという無茶な企画。
その無茶ゆえに大泉先生のボヤキも冴え、3回ともそれなりに面白いシリーズではあるものの、流石にテレビ的に画が持たないはずである。
代わり映えの無い寺の前で、遍路装束を着た大泉先生が「79番天皇寺高照院!」とか言うだけの企画である。寺毎に紹介だとか、見事な伽藍ガァとかはほぼ皆無。たまにありがたいなぁと悟りを開かれ、時折ゲストが来ることもあるが基本的にはそれと、うどんを食べる姿と、車内でふてくされる大泉先生の姿だけで放送が続く。
道民達がお遍路へと旅立つ多くのキッカケを作ったはずである。

いくらディレクター陣がうどんが好きだと言っても、さすがに四国行きすぎである。更にはお遍路の道中で起きた怪奇現象を基にドラマまで作る次第であった。

 

地理感覚の涵養による意識の力?

 

他にもサイコロの出た目で行き当たりばったりで日本何処でも行くという”サイコロの旅”は6シリーズを数え、内地の地理に疎い道民達に日本地図をイメージさせる役割を大いに買ったと思われる。

基本的に旅番組と聞いてイメージするのは、何処かにポンと行って、周辺の名物を回るのがセオリーだが、彼らはそうしない。
旅先での有名な観光地には目もくれず(そういうのはヨソがやってるから、てなもんで)、テレビっ子である大泉先生がそれに対して疑問を呈する車内の様子がむしろメイン。移動することがすでに目的になっているのだ。

これが絶妙で、ただの旅行番組だったら紹介するのは地方の一点であり、鶴瓶の家族に乾杯だとか言うのは一点の周辺を巡って終わり、2日後には視聴者に忘れ去られている。
しかし移動が目的の水曜どうでしょうは、その点と点が繋がる訳である。群馬でダルマを買った翌日には秋田でナマハゲのお面を買っている。それをカブの荷台に積み、視聴者はその後ろ姿を常に見ることになる。東京から北海道まで車で来るには、群馬を超えて秋田を通るんだと言うことが時系列的にも視覚的にもわかりやすい。

どうでしょうが(支配者から)評価されているのはこの点だと私は考える。

述べてきた通り日本列島というのはある時代に大改造され、その姿を保つには莫大なエネルギーが必要。改造した目的の一つに、世界地図の縮小型に日本を作り変えるもの。

よくスピ界隈では”日本は世界の雛形”と言いますが、逆なんです。世界の形に日本を作り変えたんです。
それによる形態共鳴を利用し、日本が揺れた時は世界が揺れる、世界大戦は日本が参加しなければ起き得ない、そうした状況を作り上げるために、諸島群だった日本を列島に、さながら龍の姿に作り変える必要があったと。少なくともヤマトタケルの時代には日本は列島では無かったはず。

そんな急拵えで作られた日本列島ですから、繫ぎ止めるのが大変。送電鉄塔を建てるのは監視や電磁波照射のための他、アンカー(錨)の役割もあるわけです。
東日本と西日本でフォッサマグナエリアを境に電気の周波数が違うのもそのためで、絶対に統一する事は出来ないそうです。国の政策的に、国内で電気の周波数を変えるなんて、普通なら百害あって一利なし。日本政府がそこまで馬鹿だったかと思うか、説明できない理由があるんだと思うか、どちらが妥当だろうか。

ゆえに、日本人の意識に日本地図を、それも動線付きでイメージできる具体的な姿をインプットする事は絶対条件。
江戸時代の伊勢参りブーム、参勤交代も、主目的はそれだったろうと我々は見ています。
意識がエネルギーを持つ事は、ある程度世間を知っている方なら理解できるでしょうから今更説明の余地はありませんね。
安倍晋三首相に政治のイロハを教えた経営者の方が仰っていました。「日本ではコレ(おもむろに指で印を切る)ができないと出世できないよ」と。

 

謎の男、ミスター

 

大泉洋が所属するタレント事務所であるオフィスCUE。その社長(現在会長)である鈴井貴之こと”ミスターどうでしょう”、彼の経歴には謎が多い。
自他共に認めるダメ人間として自著のタイトルにもなっているほどであり、大学中退後はバーテンダーをしていただの、大泉にとって世界一怖い人はミスター(鈴井)だとか、なにかと裏の面を感じさせる。
しかし番組後半ともなると彼の厳しい面は鳴りを潜め、時おり甘いものの早食いでやられたり、カメレオンに名前をつけて可愛がるなど、次第に丸くなっていくミスターの姿も番組の魅力の一つ。

そんなミスターの出身は北海道赤平だが、ルーツは紀伊半島十津川村。バリバリの熊野エリアである。
ちなみに藤村ディレクターは愛知県新城市出身。


レギュラー放送も終わった2004年、何故かミスターは韓国へ留学する事を決意する。
もともと劇団員でもあり映画監督でもあったミスター、韓国映画産業の隆盛をあの時点で見抜いていたなら流石だが、芸能活動、社長業を投げ打って留学というのはなかなか度胸がいる。電通のお膳立てだから、若しくはダメ人間だから、で片付けられるかもしれないけど…

確かに2004年公開の韓国映画ブラザーフッドは私が選ぶ映画人生トップ3に入るほどの名作であり、私なぞは日本語韓国語字幕を切り替えながら何十回も見た結果、セリフはほとんどそらんじる事が出来るほど。
2002年の日韓W杯の共催というのも今考えたらやりすぎだし、Wカップ前後3年ぐらいのメディアによる不自然な韓国の取り上げ方は気持ち悪いものがあった。

背中で語れる渥美清のような役者がいなくなったからなのか、テレビが普及したせいなのか日本の映画産業には金が投入されなくなり、代わりに派手な演技ができて整形に抵抗が無い韓国が大衆洗脳装置たる映画シーンを牽引して行くと。そのターニングポイントが2004年であり、その前段のJSAやシュリで日本市場を探っていたのではと考えられる。今やベトナムの地方局でも、ベトナム語吹き替えの韓国ドラマばっかりで辟易とするほどに、アジアのエンタメを席巻している韓国。円谷の特撮技術はNASAに輸出され、韓国の美大映画専攻の学生達はクロサワや小津安二郎を熱心に見ているのだ。

ちなみに水曜どうでしょうの企画でも、韓国内でサイコロの旅に行っている。言葉も喋れないのにバスや電車の時刻表をどうやって調べたのか、今でも不思議。現地コーディネーターが同行しないとまず無理だと思うが…

そして放送1ヶ月後に大韓航空801便が墜落し、228名が死亡している(97年8月6日)。

 

その他怪しい点

 

その他にも、現在オフィスキュー社長でミスターの元奥様がベトナム料理店を経営していてよくベトナムにも来ていたとか、車の走行距離表示や空港の飛行機便を表示するあのパタパタ等に、意図的かつ意味深に123という数列が挿入されている点で、オヤッと思うことがあったり、龍馬伝の翌年に高知に行ったり等々と、何かと裏の意図を匂わせるなと思いつつも、藤村ディレクターにつられて爆笑しながら常に拝見させていただきました。

そんな大泉先生が、日本死ねの筆頭であるNHKの、一年を締めくくる大イベントである紅白歌合戦に起用されたという事ですから、さてどうなる事やら…
生まれて初めて紅白を最初から最後まで見ようかという気にさせるキャスティングに、揺れ動くどうでしょうファンであった。

ちなみに大泉先生の演技については個人的には思うところが無く、私も劇場で観ましたが探偵はBARにいるなどは微妙そのもの。あれで日本アカデミー賞が取れるというなら、もう日本は映画を作れないと断言できる、そういう内容でした。

“こんな夜中にバナナかよ”は見てみたい。おそらくハマり役。