三遠南信Part2

 

 

三河遠州こそが伽耶だった!?!?

 

伽耶という国に馴染みが無い方のために整理しますと

 

私たちが歴史の授業でも習ったように、日本が古墳時代大和時代だった頃、おとなり朝鮮半島は三国に分かれていた。

百済高句麗新羅の三国の影に隠れ、伽耶or加羅(日本名:任那)と呼ばれる連合国が存在し、最近の発掘成果や歴史認識の見直しから、朝鮮三国時代を朝鮮四国時代と改めるべきという声が唱えられるほど。

 

カヤグムのカヤもここから来ております

そんな伽耶の代名詞といえば鉄であり、現在も鉄鉱石の採れる鉱山を従える伽耶地域は鉄製品が山のように出土する地域。

アラガヤに比定される咸安の博物館には都合二度も訪れたことがあり、直後に大阪堺の博物館で見た馬鎧はアラガヤのそれと全く同じやん!!という印象を受けました。

 

国際空港も置かれている金海も名前からし金官伽耶伽耶連盟前期の盟主)があった場所だろうとされ、伽耶6国の王達が降臨したクジボン龜旨峰の山こそがクシフル岳では無いかと日韓の歴史研究家にもよく言われているところ。

 

しかして国際空港を従える釜山は今でこそ韓国第二の都市であり貨物船の寄港地としても日本を抜いてアジアのハブにならんとするほどの成長を見せていますが、かつては漁村しかない寒村でありました。

江戸幕府倭館(ウェグワン)と呼ばれる大使館に相当する10万坪もの施設を設置したのが1678年。現在は山上に釜山タワーが建てられ、ナンポドンやチャガルチ市場は観光客がひきもきらないエリア。古書店街もあり、韓国軍年鑑を探しに奔走したのも懐かしい。

上記の写真は海抜20m以下を白塗りにしたもので、古代の海岸線の想定図。マッドフラッドなのかなんだかわからないが、地球規模のなんらかの変動が起きて現在の海水面は5から場所によっては20メートル以上上昇したと私は見ている。そうでないと説明できない事が考古学的にも歴史的に多い。そうすると見事にアラガヤは内海に広がる豊かな海上都市であった事が窺える。おそらく玉名盆地も古代はこうした内海が広がっていたのだろう。

そんな日本に厳然たる影響力を持った任那の入り口にして鉱山が豊富にあった洛東江と古代内海の守りの硬さをよそに、歴史の表舞台から忽然と消え、近代まで忘れ去られていた韓国南部の伽耶エリア。

古都と呼ばれる場所が往々にして打ち捨てられ、現在は誰も住まない所になることはままあるが、日本を間近に見つめる海沿いでそんな事があり得るのか??

その後の朝鮮史の中心は慶州や開城や、北方に政治的中心が置かれて久しい。またあれだけ揉めた倭との関係も、やれ契丹だモンゴルだ、外勢の脅威は常に北及び西に向けられ、時々倭寇が東、南海岸を荒らしたと歴史書に残るのみ。

 

そう、私は記紀百済本紀、魏志倭人伝等の歴史書の記述から当然のように比定されている伽耶=韓国南部という図式が、実は三河遠州だった!という可能性が40%ぐらいはあると割と真面目に思っています。

なにせ、伽耶=日本説というのは韓国の学者でも提唱しているケースがあるぐらい。神功皇后49年に皇后が遣わした荒田別と鹿我別が征服した多羅国は、韓国では無く佐賀の太良である!というのはかなりいいセン行っていると思います。なんせ鹿島市のすぐ南!

 

豊橋=鉄の街

 

伽耶三河遠州を裏付ける材料に、豊橋は高師小僧が有名な地。

高師小僧は葦の根元に鉄分が付着したもので、そもそも豊橋の高師原から名前をとっており、かつて豊橋市南部を埋め尽くしていた湿地帯にゴロゴロとあったそうです。

またビリーバンバンじゃないか。



そんな高師原台地と天伯原台地からなる渥美半島の根元付近。現在は国道23号が整備され海沿いエリアの交通が非常に便利になりましたが、走っていると大きな○○が目につきます。(実はここも銅鐸と密接に関わる場所ですが、ちょっとやばいのでメルマガにてお伝えします)

今でこそ便利になったとはいえ、かつては陸軍の大きな演習場が作られたりするほど誰も住んでいなかった場所に、〇〇を作って人を呼び、△△△△教の□□□まで作られると言うのは…

 

鉄鉱石が取れないとされる日本ですが、これだけ巨大な褐鉄鉱が湿地にゴロゴロ転がっているのを見て、これを何かに使えないだろうかと思うのが人情。

縄文土器は実は製鉄用の坩堝(るつぼ)だったのではないかという説があるぐらいで、現に発掘現場では縄文土器に鋳鉄がこびりついているものが発見されたと聞いております(当然表には出せないでしょう)。

更に言うと最新の発掘では吉野ヶ里よりも早く稲作が定住した地域は伊勢、それも鈴鹿周辺であるとか。

紀元前4世紀に鉄と青銅器が同時に渡来したとされる日本で、5世紀に鉄の国内製造が始まるまでの約1000年間、各地から出土する鉄製品や古墳の埋葬品は全て朝鮮や大陸から輸入された銑鉄から作られたという定説、これは逆に無理があるのでは??

神社の分布から見て海抜10メートル以下を透明にした豊橋。銅鐸エリアも近い(湖西市白須賀)



青銅の川、天龍

 

また青銅は国内製造が早く、前1世紀には銅と錫(スズ)の合金である青銅が作られたと言われています。

 

ここで錫が出てきましたが、錫の原子番号はなんと50。

スズで50。

そう、伊勢神宮を流れる五十鈴川

製鉄民を率いて入道ヶ岳の水銀利権を抑えた猿田彦一族の痕跡は鹿の椿大神社が今に伝える。

耐火断熱レンガ、るつぼといえばイソライト。

ひいては神武天皇の正妃である媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいそすずひめ)を想起せざるを得な

い。これが全て偶然だろうか??

 

金官伽耶を建てた金首露の妃はインド人

卑弥呼チャム人説

遠州袋井はベトナムとのコネクションもあれば、蒲郡はカボチャが初めて日本に流れ着いた伝承もある。

名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実ひとつ。古代における東南アジア、ひいてはインド交易の最大拠点は三河遠州だったのではと私は考えています。

 

 

銅鐸に話を戻しますと、三遠周辺で見ると恵那、中津川で採取される錫。さらには浜松近く、ギリギリ長野と言う天竜川流域の神原も錫が取れたという。そこには飯田線小和田駅がすぐ近くにある。

小和田氏山形県西村山地域に多くお住みのようで、紅花が名物。なんの縁なのか寒河江で紅花の種を仕入れた事のある私も、家系のルーツに村山がある。

 

更に天竜川には秋葉山下社の目の前にかつて存在した峰の沢銅山(信州まで繋がっているという伝説)と、巨大銅鐸を作る上での材料は申し分ない。とにかくデカイ。この辺の銅鐸。

暗示するように浜松市天竜区にはオリハルコンの釜と呼ばれる淵があるらしい。古代ギリシャ語で“山の銅”と呼ばれるオリハルコン。日本では伝説上のヒヒイロカネがそれに当たるといわれていて、実際に山の専門家達はそれを独占し、今もその技術は限られた山師集団によって密かに利用されていると知人から聞いています。

 

武田の金山衆は金が取れる山は光って見えたと言いますが、実際に現代の山師も動物的な臭覚か第六感なのか、なんの変哲も無いように見える山に入ってはレアメタルと思しき物を掘り出し、特殊触媒用や特殊合金用に高く売ったり怪しい機材を自作しているそうです。基本的に世のためになることはしてないんですけど。

 

続く

三河、遠州、南信濃に残る伽耶の痕跡と銅鐸 PART1

 

三遠南信道路とは

 

突然ですが三遠南信という言葉をご存知でしょうか。

河、州、南信濃を合わせた地域名で、それぞれ愛知県東部、静岡県西部、長野県南部に相当し、秋葉街道と伊那街道を通じて結びつきの深い地域と言われています。

実際に浜松市民が茶臼山(長野)までスキーに行くこともあれば、豊川稲荷(愛知)に参拝したりと、同じ県である静岡市よりも身近な存在に感じる人も多い。少なくとも沼津や伊豆よりはよっぽど親近感があるのは間違いない。

 

そんな地域に、中央構造線にほぼ沿う形で高速道路を作る計画が目下進行中なのです。

しかしご覧の通りの不自然な遠回り。既存の国道151号を拡幅すれば距離も短くて費用も抑えられるのでは?と思われるでしょう。これには〇〇〇(政治的理由により伏せ字。メルマガにてお伝えします)を通したいという思惑も強い。皇室絡みです。

ただでさえしょっちゅう崩れる青崩峠兵越峠を従える中央構造線沿いの峻険な山を削り、谷を埋めてまでわざわざ遠回り。かつ利用客はそこまで期待できない。さらにはトンネルなのか橋なのか、伊良湖岬から伊勢まで繋げるという無茶としか思えない構想もまだ残っているとか。

 

高速道路=軍用

 

これに似た無茶な道路があります。〇〇市と〇〇を結ぶ〇〇〇〇自動車道がまさにそれ。実際に通ってみても、利用者もまばらで、不自然に高規格でトンネルも高い。完全に戦闘機格納用のシェルター、いやアレなら中型爆撃機も格納できるぞという構造になっています。中央分離帯もほぼ無く、真っ直ぐな区間はそのまま滑走路になる。

そして高速道路ですから、雪だ台風だと理由をつけて閉鎖してしまえば、高い橋脚上では何が行われていようが下から全くわからない。第3次大戦時は首都圏爆撃用のロシア軍機あたりを格納しておくという運用を想定していると予想できます。ただでさえ〇〇は外国人部隊が多く潜伏している場所です。それを暗示するように大きなローマ字の交差点名標識がやけに多い。

 

国防の観点からも道路の整備は本来国家事業で行われるべきであり、滑走路にもなる韓国の広い高速道路や、橋を爆破崩落させて戦車の進軍を防ぐ機構を見てきた私から見た場合、道路開発をほぼ民間に丸投げしている日本の状況は国防意識皆無の、全くもって異常な姿なのです。

この国の政府はとにかく責任を取りたく無いというのは、今回のコロナワクワク騒動でもよく理解できたことでしょう。こすっからいニッポンセイフが、需要不明な無駄道路や不透明な金の流れを追究されないためにそれらを民間が勝手にやったテイにし、そのための規制緩和が官僚の仕事です。

悲しいのは土建屋や地権者に金が入り、利用者も便利になることを求めて反対らしい反対運動が起きない事です(あっても握りつぶされますけど)。かようにして日本の神聖な山々はあなぼこだらけに。

 

三遠南信道路の真の目的は

以上を踏まえ、御巣鷹山周辺の不自然なダム整備や、林道に突然現れる戦車も通れる規格の道路を見てきた人間としての三遠南信道路の目的は、中央構造線をとにかく掘りたい、軍需品および兵力の輸送、地下基地への直結道路の整備、つまりは日本焦土作戦。というのが図星でしょう。やれやれ。

さらには、伊勢湾をぐるっと囲む方にも意味が、というより

これ以上はこの時点ではお口にチャックだ。

 



 

遠州は特殊工業地帯

 

イメージ無いかもしれませんが浜松は工業の街です。

光学機械のホトニクス(ニュートリノを観測)、ヤマハ、スズキの発祥の地にして本社所在地。

さらには本田宗一郎豊田佐吉もざっくり浜松が出身でありますゆえ、ヤマハスズキホンダトヨタと、誰かしらこれらの車&バイクを所有したという方は多いでしょう。

私が住んでいたベトナムもバイク天国。今でこそホンダがぶっちぎりでシェア首位を独走していますが、オシャレさではヤマハエンスーはスズキを選ぶという派閥も。出身地を聞かれたとき、あなたのバイクが作られた街だよ、というと親近感を持ってもらえます。

 

そして浜松といえば楽器。

 

世界のピアノのトップ1、2シェアを占めるヤマハ、カワイも浜松の会社で全て同市で製造されていますし、音楽業界全体の世界シェアで見ると1位はやはりヤマハですが2位は電子楽器のローランド。

フェンダーギブソンといった有名楽器メーカーを差し置いて、世界の楽器業界トップ3は全て、浜松に本社を持つ会社です。

ローランドに至っては創業地の大阪を捨て、市内から離れた不便な地に本社を移しています。何故??

 

浜松が楽器の街になったワケ

 

ブラタモリ解釈に従いますと。

暴れ天竜が作った自然堤防で綿花を栽培していた浜松は機織りの町として栄える

近代になって自動織り機が発達する

織り機の製造修理技術が天竜川の杉材の質と水運の利と相まってピアノ製造に繋がる

現在航空自衛隊の基地がある三方原の台地上に日本初の爆撃機基地(陸軍)が作られる

楽器製造の技術が航空機のプロペラ製作に転用できたため、戦中の贅沢品扱いにもめげずピアノ製造技術が枯れることなく発展して今に至る

 

と、もっともらしいことを言っていましたが、織り機からピアノ製造に至った経緯が無理があると感じるのは私だけでしょうか。

ヤマハを創業した山葉寅楠が輸入オルガンの修理を初めて手がけたのが1887年。その翌年である1888年には日本最初の本格的オルガンの製造に成功した。(※wikipedia調べ)

いくら機械の扱いに長けていたとはいえ、近代音楽の素養があったとも思えない下級武士の3男坊が、たかだか1年で、見よう見まねで、オルガンを一から作るなんという事ができるものでしょうか?。

 

結論から言うと無理です。普通は。

 

韓国を引き合いに出しても仕方ない事ですが、あの国がシャーシ等日本の供与を受けず、完全オリジナルで自動車が作れるようになったのは2007年ごろのことだったと記憶しています。

 

私が韓国の冬季オリンピック誘致プロジェクトに関わっていたときのこと、氷を削って飛ばすだけの単純な韓国産人工雪製造機が、1台壊れ2台壊れ全部壊れ、日本製の雪製造機1台だけで広大なスノボ会場の雪を作っていたのが2009年。現場の重機も現代重工とか書いてあるが、よく見たら塗装に塗りつぶされたTADANOの文字現場に飛び交うドカタ用語。

あぁこの国は日本の技術無しでは何にも作れねぇんだなと思った物です。

しかしそれが普通の国なんです。

 

鉄砲伝来から国産化までが異常に早い国ですよこちらは。

 

音楽都市浜松の起源は2000年前から!?

 

この謎を解くカギ、それがなんと銅鐸だと私は思うのです。

 

銅鐸。皆様も小学校で習ったことでしょう。

なんのためにあったのか、多分祭祀用だろうぐらいの研究成果しかなく、それでいてやけにデカイ、謎の古代遺物です。

 

紀元前2世紀から紀元後2世紀までの約400年の間で作られ、現在まで発掘された総数は500ほど。

西日本に多く見られる近畿式銅鐸(通称サザエさん)に対し、三遠式銅鐸と呼ばれるツルッとしたタイプが三河遠州静岡県西部&愛知県東部)地域では60点が発掘されていますから、中部から西日本にかけて広がっていた銅鐸文化の中では重要なポジションを占める地域と言えるのが浜松と愛知県東部。

私が注目しているのが、漫画宗像教授でも言及されていた、荒神谷(こうじんだに)遺跡の大量出土です。

ここで荒神という単語に注目せざるを得ません。私の見立てでは荒神谷の銅鐸はフェイク。

他所で発掘され、秘蔵されていた銅鐸を当時の地層にわざわ埋めた可能性があると見ています。その理由として

ニセ出雲=島根

真・出雲=三河遠州

の真相を隠すために銅鐸文化の重心を西にシフトする、さらには○○○を〇〇〇〇するための呪詛、ないし暗号報道であったと考えています。

当然、浜松の工業化を推進した原動力には真の出雲の痕跡を人目に晒さないためという付随的な目的があります。

島根県があれだけ発掘が進み古代史の街と言われ、産業が育たないのも逆説的に言うと重要な遺跡(壊さないと都合が悪い)が少ない=工業化を進める必要が無いという事でもあります。

もっとわかりやすく言うと

浜松記紀の歴史(官制日本史)にそぐわない発掘品だらけや!!工場や倉庫を作って隠したろ!!

島根やたら精密な金工品とか鉄剣出土しても韓国近いからまぁええか!!掘ればどっかしら記紀を補填する発掘品出るやろ!!都合悪いもん出て来たら村八分にして抹殺や!!!田舎根性は怖いのうwww

 

折しも浜松市北部、天竜扇状地の北端に宮口という地域があるんですが、知人の歴史専門家G氏によると、『あそこは完全に奈良ですよ!!』と興奮気味だったのが印象深い。さらには、『ここにアラタマっていう地名があるでしょ、ここはアラガヤですよ!』というのには私も目から鱗が落ちる思いだった。

そうか、アラガヤ、荒神信仰、アラハバキ、ここで繋がるかぁ~!!!

さらには先述のミヤグチはミジャグジ信仰。天竜川流域に諏訪神社が点在している点とも符合する。

 

堀谷アラハバキ神社に砥鹿神社のアラハバキ社、そして新東名が狙ったように通した山中の金刀比羅神社の摂社になんと尺地社。

そして火伏せの神として崇敬を集める秋葉神社もそのままアラハバキ。嵐の二宮和也もなぜか植樹している。二本も。

そして天竜🐉🐍

アラハバキミシャグジ がバッチリ組み合わさっているエリアゆえに、南朝の皇子も身を寄せ、井伊谷天皇家も足繁く訪れ、世界企業の創業者を排出する地にならざるを得なかったのは、こここそが伽耶だったから、というのは大胆すぎる仮説だろうか。

さらに、これは少し補足材料に乏しいのですが、天竜扇状地から三方原台地を登り、銅鐸大量出土エリアの谷を降りると細江町というエリアに入るのですが、その中心市街にあるのが指(かなさし)という集落。ローランドが本社を置いているエリアです。

アラガヤと官カヤ、伽耶連合の主要国がこの狭いエリアに二つ揃うわけです。

 

アラハバキ&ミジャグジ&銅鐸出土イメージ分布図

新東名の目的はアラハバキの封印か??

 

 

 

続く

 

炭焼き長者と百済王

この記事は2022年8月27日に配信したYOUTUBE動画 ”百済は大帝国だったのか…?そして少女神と魔女” にて言及したソドン(薯童)について簡潔にまとめたものとなります。

また、以前の記事で薯童にまつわる地域の旅行記がありますので、そちらも参照いただけると雰囲気をつかめるかと思いますよ↓

コリアウォッチVOL5。朝鮮三国時代に日本を見た!?中編。 - (元)情報本部自衛官が真相を語る?

 

ソドン서동とは

薯の童と書く通り、山芋を掘って生計を立てていた古代韓国は百済の男。それが百済の王にまで上り詰めるという、韓国版逆シンデレラストーリー。

1000年を超える時を経ても鄕歌として現代にまで伝わるその伝説は、近年にも同タイトルでドラマ化されるほど。

一見するとありえないそのストーリーを語り継ぐその理由は、また日本各地の言い伝えとの類似性は何故なのか

 

あらすじ

百済、金馬(グンマ)村…現在の益山市に、山芋を掘る男がひとり。人々からはそのまま薯童と呼ばれていた。

ある日、時の新羅の王である眞平と、王妃摩耶夫人との間に生まれた善花公主は美貌絶佳にしてお年頃であると聞きつけた薯童は、山芋を山ほど掘って新羅へと参じる。

善花公主を見かけた薯童はたちまち虜になり、計を案じた。

道行く子どもたちに山芋を渡し、こんな面白い歌がある、これを大いに歌って遊びなさいと言った。

善化公主主隱
(선화공주주은)
他密只嫁良置古
(타밀지가량치고)
薯童房乙
(서동방을)
夜矣夘乙抱遣去如
(야의묘을포견거여)

      (薯童謡)

...原文を当時の新羅語で読み下した場合、最後の一文の解釈が随分変わってしまう。

夘という字を묘, 現在の몰래として読めば夜にこっそりと (ソドンを)抱えて行くになるし、夘を卵の誤字だとすると夜に卵を抱えて行く

となる。

つまり日本語の意味としては

善花公主は人目を忍んで情を交わし、薯童の部屋に

夜にこっそり抱えて行くもしくは夜に卵を抱えて行く

 

となる。抱遣去如は性行為的な意味の抱くではなく、まさに抱える、持ち運ぶというニュアンスであるため、善花公主が男の薯童を抱えるというのは違和感がある。とはいえ卵を持って行くというのも何を意味しているのかとして研究家たちの論争は尽きない。

 

 

ともかくエサで釣って歌を吹き込んだ薯童の企み通り、新羅の王都中に善花公主の浮名がこだまする。

程なく眞平王の耳に入ると、あわれ善花は勘当され、なんやかやして薯童とめでたく結ばれる。

善花は家を追い出された時に持たされた金塊で何とか生計を立てていたが、薯童はあの黄色い塊がそんなに価値のある物だったのかと、善花を山に連れて行ったところ、金塊がそこかしこに転がっているではないか。

かくして金を売ってお金持ちになった薯童は百済の王様になり、金馬村に弥勒寺という百済一大きいお寺を建てましたとさ…

 

 

さてここまで聞いて日本の言い伝えに詳しい人だったら、

熊本では疋野長者

大分では真名野長者

と似ているな、と思われる事でしょう。

・姫が都から田舎へ行き、男と結ばれる

・男の故郷では金が山ほどとれる

・人望もあり成功する

という共通点。

この炭焼き長者譚は日本全国にあり、中国の少数民族たちにも類例が何十と見られるという。

しかし熊本と大分の長者伝説に通じているのは百済との縁が強いという点。

大分は三重町玉田の長者伝説を伝える古文書の一つ内山記には、百済の蓮乗法師や、炭焼きの前世が百済の僧侶だったりとか、一見すると無理矢理感すらあるほどの百済との結びつき。

熊本の長者伝説が残る玉名市といえば見事に百済式の江田船山古墳。

日本百済関係史を学ぶ上では避けては通れない古墳があり、そのまま川を遡上すると、またも大百済エリアの山鹿、菊池へと至る。

 

熊本は玉名

大分では玉田。

 

タマナという地名は百済がかつて外地に設置した檐魯담로に由来するという説がある。

現代ハングル読みではDAM LOが鼻音化して ダムノ に似た発音となるが、古代語は概してゆっくり発音する傾向があるため、タムル、タマラといった発音だった可能性は高い。

何故なら古い済州島の呼称を耽羅と言い、日本語読みでもタンラ、現代ハングル読みでもタナとなる。さらに屯羅、耽牟羅という表記も見られる。

屯という字はタムロと読むし、百済が駐屯した拠点にそうした地名をつけていたという百済研究家を笑い飛ばせる人は世間知らずである。

あの大帝国モンゴルのハーンが妻に選んだのも、まさに金馬村出身の高麗人であったし、中世までのあのエリアは世界の中心的な位置にあった可能性が否定できない。

ただそれが現在の大韓民国の南西部かと言われると、さぁそれはどうかな

 

参考

この地図は百済の前身である馬韓連合国の主要都市を記した地図

乾馬國は後の金馬村を中心とした馬韓連合の主要国と見られ、伽耶と接している点にも注目。大耶城の戦いは朝鮮三国時代の大きなターニングポイント

大耶城の周囲は多羅国に比定され、勾玉が大量に出土することから名付けられた大古墳群の玉田(オクチョン)。

外地に22もの檐魯を置き、その版図は遼西、山東半島に留まらず、中国を飛び越え東南アジアにも広がったとも言われる百済。それも22檐魯は漢城(現ソウル)を放棄し熊津(オンジン)に遷都した際の、いわゆる衰退期における梁書百済伝に見られる記録であり、漢城百済時代には50以上もの檐路があったであろうと推定される。

かたや耳(たんじ)・珠崖(しゅがい)の倭人伝説の残る海南島。その真西には久延毘古そっくりな伝説が残るベトナムのタインホア。

 

倭人の痕跡と百済の版図。この奇妙な一致は果たして偶然か…

アレまつりたけなわ!

若干関係者向け内容となっております

 

コロナ祭りにワクチン祭り、電力不足祭りにアベ祭りと、八方手を尽くして我々市民を楽しませてくれている政府関係者の方々には頭があがりません今日この頃。

 

先日こちらにお邪魔させていただいた不肖元インテリジェンス自衛官でございます

https://adoi.hatenablog.com/entry/2022/07/19/173205

 

種々の祭りに加えて、個人的に我が家周辺にも祭りを繰り広げてくださる関係者の皆様に対してのせめてものお礼として、不肖私がこちらの場所についてヒントを、いや詳細な住所をポロリしてしまうかもしれません。

ただ次回生放送までに材木町の坊主からの侘びがあればその限りではありませんが。

f:id:YoshihikoK:20220720234946j:image

縄文の息吹を感じる古代人の故地には豊かなため池が満々と水をたたえ、風力発電がせっせとクリーンなエネルギーを作っている情景には、古来より自然と調和してきた日本人達の精神性を今に伝えているようにも思えますね。

偶然にもこの地を訪れたのは海の日。祝日にも関わらず工業団地には各種車輌が行き交い、駐車場は満杯。工業立国ニッポンをささえているテクノロジーはどこから来ているのだろう?と浪漫に浸る、そんなクソ暑い海日和な1日でございました。

イカもまた爆発しておりました💣

 

悲しみの山口と百済朝鮮(ライブ配信補足)

今回もYOUTUBE生配信にお付き合いいただきありがとうございました。↓

www.youtube.com

スマート不穏の電池切れで突然の終了となってしまったことをお詫びいたしますが、これからもこうした手探り手作り低予算でお届けしようかと思います(>人<;)

3時間も動画見れねぇよ!というお忙しい方のためにも、伝えきれなかった事もあり、要点を簡略に(結局冗長になりました…)まとめようと思います。

 

田布施システムの嘘

明治天皇が山口の朝鮮部落出身の某に背のりされた、今の天皇はその後継者だ…という陰謀論界隈の噂。

はっきり言って韓国人(朝鮮人)にそんな力は無く、古代より連綿と続く封建思想が今ですら残っている日本で、そんなことは不可能です。こうべを垂れてしかるべき血統の人間にならいざ知らず、化外の人間(失礼)に武力等で支配されたからと言ってやすやすと従う日本人はあの時代いなかったでしょう。つまり田布施出身の人間が天皇に据えられたといっても、それで世の中は回っているわけだし、革命じみた大きな動乱も無かったことから、支配層にとっては天皇の国籍や出自などどうでもいい。と言ってしまっては多少語弊があるかもしれませんが。

小室圭さんが在日だと言っても、だからどうしたという話で。

国内では命を狙われる危険性を考慮し、血統を残す目的で皇統が半島に落胤を送ったと見ることもできます。

むしろシナだチョンだと国籍だけで人を差別する残念な方々より、韓国及び北朝鮮の方々の方がよっぽど節度があり、先祖を敬い和を尊んでいます。ぶっちゃけ血統的にも正統。

ネット右翼の大半は中年以上の(無駄に時間だけはあり、かつ成長の見込みが無い)自営業者が多いという古谷氏の調査はかなり正確だと思われます。若者もバカじゃないからそんな無駄な事に使う時間も労力もないだろうし、ていうか実際にそういう方を知っていますし…「俺は〇〇天皇の末裔だ!!」と言いながら労働基準法完全無視の薄給でパートの女性をこき使い、123便事件は俺が一番知っている!と言いながら外国人差別をする人が実際に居るんです。もちろん自衛隊内部組織やその他雇われで差別的なコメントをネット上に晒している人間も多数いますが。

確かに韓国にはウリナラマンセー的な人は居ますが、もちろん少数派でありネトウヨの人達と性根は同じです。自分は素晴らしい人間なのに評価されないのはなぜだ!政府が悪い!!いや、隣の国が悪い!!!

…けっきょくは同族嫌悪なんです。ほっときましょう。

 

“中国=日本の傀儡”説の裏付け

じゃぁ朝鮮人に支配させたもっと上の組織若しくは国がいるんだ、中国並びにロシアコミンテルンだ!!アメリカだ!!という意見もありましょう。

そこで私が動画でお見せしたあの発令書です。

赤ワク内が私の曽祖父の名前

 

私の曽祖父は上海でスパイをしていたというのは既にお伝えしましたが、なんと中国陸軍所属のスパイだったというのが文書でハッキリと残っていたわけです。今回法事で山口に行った一番の収穫と言えます。

そうなると、なぜ汪兆銘がフランス系の法政大学に留学していたのか、陸軍結社の中枢である浜松から、池谷姓の男(私の曽祖父です)が上海の旅館経営者に接触し婿入りまでしたのか。徳川とフランスの蜜月を知っていれば至極当然であるわけです。

当時日本人が多く住んでいた疎開地はフランス租界の目と鼻の先。森鴎外はじめ陸軍の偉いさんや日本の著名人が定宿にしていた旅館は格好の情報交換の場であったわけで、そこを徳川が狙った…というより、上海割譲自体が、2000年以上に渡る日本海人族=中国沿海部コネクションによる既定路線だったと見る事も可能。倒幕なんて出来レースですし。

また浜松周辺といえばスズキ、トヨタ、ホンダ、ヤマハといった世界に冠たる発動機メーカーの創業者を輩出する地であり、また楽器でいえばヤマハも世界のシェアトップ。そして電子楽器で売上を伸ばしているローランドも、楽器全体のシェアで世界2位なんですが、創業地の大阪から何故か、銅鐸の大量出土地である浜松北部の片田舎、都田に本社を移しているのです。なんのために?

ぜひグーグルマップでローランド本社をご覧ください。本社の近くにあるショッピングモールは、一体なんの形をしているでしょう…

ですので中国公安部の設立に日本が関与していたというのはまず間違いなく、それも徳川が大きく関与していた(であろう)ことの傍証を今回の山口詣にて掴んだことは大きな収穫でした、と。

 

利用されたのんびり山口県民と百済

山口はとにかく平和です。人も概して穏やかです。道が良いので運転は荒い方に入りますが、どうもあの土地は人に争いをさせる気を削がせてしまう何かがあるようです。

ゆえに医院を開いた親戚のi家は、初代は霊能じみた力で人を癒してしまうぐらいの能力者で、人柄も素晴らしい赤ひげ先生でした。しかし2代目の器はそれに遠く及ばずで、しかも山口で育ったもんですから人を疑うことを知らず、詐欺師に囲まれて存続の危機です。3代目候補に医師免許保有者はついぞ現れず、このまま老人ホームの入居者が居なくなったら廃業でしょう。

同じく今回の山口詣で宿泊した常盤旅館も、このご時世で必死な様子。

とにかく上の指示(県ならびに厚労省)にヘーコラしてマスクしろ、しないなら泊まるなと強気かと思いきやチェックイン時以外ノーマスクでも一切何も言って来ませんでした。ハッキリと形式だけって言っちゃう始末…なんだか可哀想になってしまいましたが、旅館のコンセプトもB級そのもの。

風呂の補修はしないで、高校生の卒業制作みたいな変なオブジェが飾ってあったり、やたらとくだらない表彰状が掲げてあったり、見事にとっちらかっている様子です。

金の使い方を知らないというか、長沢ガーデンに毛の生えたような温泉旅館でした。名物女将が引退したらもうダメでしょう。

ちなみに長沢ガーデンの社長もある意味大物で、「金はもう稼いだから、ボイラー壊れたら廃業だなぁ」的なやる気のなさがむしろ良いんです。昭和が残っていますアスコには。

知らんがな!とお思いの方には誠にごめんなさい。国道2号線沿いのふっるいドライブイン旅館で、古株のトラック運転手にとっては山口といえばココ、というオアシスでありましょうか。部屋の掃除は行き届いてませんが、メシは結構うまいんです。タコ焼きとか

 

そんな山口との縁が深い古代韓国の百済エリア

“漢江の奇跡を成し遂げたのはワシの力じゃあ”という長州のドンをして天智天皇百済人だったと言わしめる、大内氏の威光だったり百済人ネットワークが日本の政治経済の中枢に張り巡らされている事は、上皇陛下による百済人が先祖発言からもわかる。

ちなみに韓国国内では新羅というと高級ホテルの名前に付されていたりと誇りあるワードのようですが、百済というのはとにかく無視、いや忌避すらされている社会雰囲気を感じます。一時は現在のソウルも百済の領域だったというのに。地域差別も根強く、ゲリラの巣窟ということにされ霊峰智異山はことごとく焼かれ寺社は破壊され。

おそらく古代史で言うところの百済伽耶が言うなれば古くより残る正統出雲ならびに猿田彦家系であったり、唯一神ならびにアラハバキ、ミジャグジ信仰を継ぐ本来の日本の姿。

対する新羅や大陸の唐といった勢力が、そんな平和な日本を侵略すべく入ってきた外来勢力ということが言えます。太宰府に残る都督府古趾碑は、7世紀すでに日本は外勢に侵略されていたという物証と見て間違いありません。

後百済を建国したキョンフォンは、大ミミズと人間の女の間に生まれたという伝説がありますが、女性の家に夜這いしたとか、糸をつけて辿っていったらヘビだったとか、まったくそっくりな神話が日本にもありますよね? 蛇=ミジャグジ。つまり日本古代史に蛇というワードが出てきた場合、ほとんどの場合ミシマミゾクヒつまり強力な女系血統との接触を意味しています。

またアラハバキのハバ、ハハも古語で大蛇を意味しています。

ヤマトタケルの兄、大碓命も蛇に噛まれて死んだと言われていますが、間違いなくミシマ系と接触していることでしょう。継体天皇彦坐王(ヒコイマス)です

何しろ陵墓がなんと猿投山🐒、みシまる氏が重要視する香良洲神社がある愛知県豊田市に存在しているということでして…

 

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次回の配信では連続して、古代韓国南部に存在した伽耶諸国、日本では任那とされていますがその中でもアラガヤとタラガヤについて話そうかなー?と思います。

伊勢神宮といえば内外の二つありますが、それぞれ別宮という形で、別格に祀られている神社があるのはご存知でしょうか。

内宮別宮荒祭宮アラマツリノミヤ

外宮別宮多賀宮タガノミヤ

アラとタラ(ガ)

それは伽耶六国のうち常に二番手としてトップを補佐したアラガヤと、伽耶六国に属していないながらも、多量の古墳と勾玉を産し国境の要衝で新羅を睨むように存在していたタラ(多羅)国を表しているのではないか?

 

ミシマ一族の影が見え隠れどころかひしめいている伊勢湾周辺と豊田、アラハバキ信仰西限(砥鹿神社)にして三河南朝伝説の残る豊川、豊橋あと浜松。

またまだ三河遠州の霧は晴れない。次週乞うご期待!!!!

 

告知

お久しぶりでやんす。

昨日は突然のYouTube生放送にも関わらず、沢山の方にご覧いただき誠に恐悦至極でございます。

 

ご要望に応え次回も生放送を、同じく土曜日の夜10時から。6/11 2200 から開始しようと思います。

 

テーマは『公営マフィア、日本警察』という大筋の内容でお送りする予定です。

 

皆様のご質問、ご指摘、はたまた面白エピソードを期待しております(*^◯^*)

そうだ狂都逝こう

銅鐸と浜松の記事を書いていたら(どういうわけか)京都の悪口がまたもや始まり、それが盛り上がってしまったので、独立記事として掲載します。

全ての京都嫌いな日本人が私の仲間だ。なんと心強いことか。

 

 

あえて敵を作りに行くスタイルの私、嫌いな都道府県をランキングにするとこうなります

1 京都

2 山梨

3 静岡

4 広島 愛知(タイ)

5 大阪 沖縄(タイ)

 

何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!!!という意見はごもっともです。

しかし出身県である静岡、大学生活を過ごした愛知県も入っているあたり、客観的な意見であることを理解いただけたら幸いである。

経験からくる好き嫌いなのに客観的と言いはる矛盾だ。

 

 

 

早速一位から参ろうぞ。

ワーストランキング

第1位

京都

正確には京都市洛中というべきで、京丹後市天橋立舞鶴等には思い出もあり、それらを差し引いても都道府県という括りでランキングづけをした時、京都府は不動の一位となってしまうのは致し方ない。ぴえん。

理由としては

・いつも道混んでる

衆生を救うためにあるはずの寺が入場料を当然のように取ってけつかる

・駐車場少ないし高い、何もかも観光地価格、というか京都価格

・京都出身でまともな人に合ったことがない

・部落研究に崇神地区に行ったけど全然大したことなかった。ファッション部落め!

名神高速米原方面から来た時の下り坂がいつも気持ち悪い。渋滞も相まっていつまでも大阪につかない

・叡山の坊主の営業妨害が悪質

 

こんな感じで。続いて意外なところで第2位

山梨

・ローディー(主に車で追跡する連中)結社員がチンピラそのもの。さすが御巣鷹の入り口。

・東京に近いから調子乗ってる

・コロナ脳だらけ

なんと、今まで良くも悪くも印象がなかった山梨県が2位に急浮上!!!

それもこれも先月ひさびさに山梨に行った際、甲府駅前のヨドバシカメラ岡島百貨店と、立て続けにマスクしろと恫喝されたこと。

特にヨドバシは警備員が横柄でしつこかったです。

マスクぐらいしろという意見もありましょうが、こっちに言わせりゃコロナぐらいでうるせぇ。です。

ほうとう屋の小作では迷路みたいな厳重なアクリル板。どかしたら直される始末。

もはやどーーーーでもいいんですけど、なんでしょう。こういう所からも県民性というかが見える気がします。常に東京の方向いてるという。

感染者数が東京で万を超えて高止まりしていた状況、東京様には死ぬまでついていきヤスぜ!東京様がコロナで大変でいらっしゃる、我らも自粛じゃー!という小物根性が匂って仕方がない。

どおりで、お上の命令通りにオウムのサティアンまで作るし、リニアのトンネルというトンネルが見事に重要な古墳をぶち抜いているし、道路標示にもやけにローマ字を多用(外国系結社員が多い)しているし。そうか、お上の言いなりなんだこの県は!

と言うことがわかりました。ノーマスクは発見があってやっぱり楽しい。

ちなみに(比較的)おおらかな県民性で、お上が今川だったり徳川だったり武田だったりと忙しかった静岡では上からの圧力に屈しないと言うか、どうせオカミが変わっても何も良くならねぇからと悟っているのかノーマスクを指摘された事は基本ありません。市役所だろうが入管だろうが年金事務所だろうが駅だろうが。

唯一着用を強要してくるのはコストコです^^;

ヤッパね

(追記3月26日 富士川サービスエリアの観覧車でもマスクの有無を聞かれました。持ってますよと返事しただけで、つける素振りすら見せませんでしたけどスルーでした)

 

3位

静岡

・田舎もんだらけ、世界が狭い

・意外に思われるが海産物が乏しい。マグロもいいやつは大体東京に行って、残りの腐りかけがイナバのツナ缶か静岡のスーパーに並ぶ

・闇が深い

・やる事多い

まぁご察しの通りかと思われます。

 

同点4位

広島

お好み焼きは広島派の私、しかし広島で食べても大してうまくない。東京の方がうまい。多分向上心が無い。なんなら自分で作ったほうがうまい。オタフクソースの過大評価

・山口まで車で行く際、危険な兵庫を抜けて岡山は一見平和(に見えるけど…)だった後の広島が東西に長くてうっとうしい。

・有吉が鬱陶しい、と言うよりこしゃく。

田中宏作品は好きだけど全体的にガラが悪い。

 

愛知

・正確には名古屋近傍がアレ。三河エリアはわりとマシだけど陸自の監視がうざい。

・名古屋までわざわざ出て行っても何もない。(おかげで大学時代は勉学に集中できたけど)

・名古屋民が名古屋にやけに誇りを持っているのが理解できない。名古屋のお世辞さえ言っておけば機嫌は取れるが、お世辞すら思い浮かばない事が多い。かと言って中日ファンと言うのはわざとらしすぎて嫌われる。めんどくせぇ!!!

尾張小牧を筆頭に車の運転が荒い。正確に言うと結社員の練度が低くてチンピラ系が多い。

・文化が無い

 

続いて第5位

大阪

・吉本芸人が日本のイジメ文化を加速させている。テレビをつまらなくしている

・意地でも標準語を喋らないあの偏屈さ

・だいたいの神社に神様が居ない(関西全般だけど)

ギリギリまで神奈川と競りましたが、見事ランクイン。

 

沖縄

・魚がまずい

オリオンビールも言うほどうまく無い

・正直焼酎が好きじゃ無いので泡盛がちょっと

・人が不誠実な印象

あくまで印象です。最後に本島に行ったのは中学生の頃だったか?成人してから石垣島西表島には行きましたが、それは楽しかった。ただ食べ物は…うーん。

 

どうでしょう。それぞれの県民様たちの怒りが伝わってくるようです。

ただご理解かと思いますが好きでも嫌いでも無い鳥取や和歌山と違って、それだけ注目に値する、かつ課題の多い都道府県であると言うことに注意が必要です。

それは各地の結社員のタイプにも現れており、特筆すべき連中の特徴を一言で言うと

福岡=凶悪

山梨=極悪

滋賀=悪質

成田(千葉とは別枠)=地獄

 

と言うように、お上にとって重要な地点、古代聖地であり、陰謀渦巻く場所であるほど結社員が露骨に張り付き、また海外勢力が入り混じっているエリアほどカオスになります。集スト被害者の方は行かぬが吉です。まじで。

福岡以下九州全域は結社員も監視慣れしている上、サイキックを貼り付けてくるので注意が必要。

京都は監視慣れしている上洗練されたイメージ。一見して身なりが良く近づき方がうまい。JR東海もヤツらの言いなり。叡山の坊主がしゃらくさい。

山梨は見境なく露骨に接近してくるので現実的な危険が伴う

成田はもう異世界。公安からしてマフィアそのもの。

もちろんこれらは非常にざっくりした分類分けで、その地を訪ねる人がどんな人かによっても変わりますし、動画でもお伝えした通り静岡内でも伊豆と清水でガラッと変わります。

例えば海自の情報員は絶対に習志野には近寄りません(お察し)

 

 

せっかくなんで

好きな県ランキング

も参りましょう。落としてから上げる!

 

第5位徳島

・うどんも美味いしラーメンもうまい

・なんかのんびりしてる

・コーヒーにこだわりを感じる

・大阪、兵庫と危険地帯を抜けた後の鳴門大橋はやすらぎの一言。

身内から非難の声が上がりそうですが、誰がなんと言おうと良い。それも全ては徳島の御曹司と仲が良かった(現在は疎遠)のが全てで、徳島の美味いものを一通り食わせてもらったし別荘で豪遊もしたし、良い印象しか無い!阿波水軍と遠州南朝の絆だろうか

第4位宮崎

・とにかくのんびりしている

・神社が良い

・トロピカル

マンゴーを食べにわざわざ太刀洗から宮崎までよく行ったもんです。人もやたら穏やかだし、同じ九州かと思うほど車のマナーが良い。実は九州じゃないんじゃないか?

第3位山口

・みんなお人好し

・どんどんの肉うどんはここでしか食べられない味

大国主直系の社長から直々に薫陶を受けた地

・瓦そば売ってる(コープ以外は認めない)

日本海側の海水が想像以上に綺麗。人もいないし海水浴にはバッチグー

母方の親族達が上海から引き上げてなぜか定住した地。やはり重要地点か。そして東京の親戚(父方)と比較すると山口の親戚はみんなウマが合うんです。やっぱり上京したイナカモン達はダメだ。

第2位秋田

・秋田犬のプリチー感

・環状列石のミステリアス感

・きりたんぽ鍋の、美味いは美味いけどなんでこれが名物に?感

・ナマハゲ感

私が大型2種の免許合宿で住んだ地であります。わざわざ選んで正解でした。青森勤務時代にほとんど訪れなかったのが悔やまれる

同点第2位福島

・青森行程の重要な中継地点。

・餃子がうまい

安達太良山がなんかスゴイ

・意外と雪少ない(会津除く)

震災前に初めて訪ねてからも、良い思い出ばかり。あんな事になってしまったからこそ、私が行って元気付けてやらなくては!と言う余計な使命感も帯びさせる。

また同点第2位山形

・赤湯ラーメンがカラいうまい。これだけのために三色モナカ(仙台の)を諦めて内陸ルートを選ぶほど

・出羽桜の朝鮮美術館がスゴイ

・山がスゴイ。ピラミッドだらけ。坂道がない。

・ラフランスがやすいうまい

ヤマがガタガタ。なんだか名前からして田舎くささを感じさせる、田吾作の代名詞的レッテルを貼られてしまった感の強い山形。ダニエルカールの責任が大きい。多分あの人CIA

しつこく同点第2位岩手

盛岡駅前の焼肉屋が非常に良心的で味も素晴らしい

じゃじゃ麺はそこまで超絶うまいわけじゃないけど、なんか食べたくなる

岩手山がパワフル

・地味に岩手町がある。当然県庁所在地ではない、栃木県栃木市を思わせるいぶし銀の魅力。キャベツが名物。町おこしキャラのキャベツ戦隊が哀愁を呼ぶ

・遠野には不思議な懐かしさを感じる

正直1位以外の東北諸県は甲乙付け難い、とても優劣なんてつけられないためこのような結果になりました。宮城は別に仲間外れにしてるんでなく、そこまで東北感を感じないと言う理由でランク外

 

第1位

THE青森

私が東北に目覚めるきっかけとなった、まさに人類の故郷。

多くは語るまい

もはや理屈ではないのです。

 

未開で野蛮、蝦夷だ夷狄だと蔑まれる本州の果て青森。

果たしてその認識で正しいのでしょうか?

十三湊は14世紀前後には有数の国際港でありロシア沿海州やなんとイギリスとまで貿易をしていたと言う。今はシジミが取れるだけの寂れた港ですが、どっこい米軍がコッソリとレーダー基地を置いている最重要級の地点。

ホツマツタエの記述でもアマテルカミが仙台に何十年も留学していたり、オオクニヌシが国を譲った後に選んだ地が津軽だというのも、東北の重要さが垣間見える。国を奪われたからというモットモらしい理由をつけてでも、守るべき“ナニカ”があったから津軽に行ったのだろうと見ています。

とにかく東北には嘘が多いんです。

そもそも多賀城の規模がデカすぎる。蛮族の統治のために太宰府と同時期にあれだけの柵、否もはや城郭都市を作る余裕が、唐新羅連合からの侵略にヒーヒー怯えていた大和政権にあったと言うのは無理がある。

 

悲しみのKIOTO

前も書いたと思いますが、記紀に記されている平安京平城京という都が皆さんが思う関西のあの辺にあった、という発掘上の証拠は何一つ見つかっていないのです。ここは都です、という立て看板ひとつ出ていません。ただ気がついたらここは京都だと言っている人たちが住んでいる街があり、周りの人間もそこを京都だと認識しているだけで、現代京都と平安京との連続性にはなんら根拠がないのです。名前だけなら福岡にも京都があるし、碁盤目状の街路があった痕跡なら山口市にだってあります。阿倍仲麻呂が詠んだ三笠山も奈良だとすると色々矛盾していて、それら全部実は九州だったとすると辻褄が合うことが多いのです。これは本職の歴史研究家が実際に提唱している事でもあります。 

 

琵琶湖周辺にわざとらしく配置した各種地名や京都奈良の偽りの都感。

縄文以来の歴史があり東北まで大型の古墳が残されている日本。京都が平安京だったとすると、あれだけ便利な位置にだだっ広い平野が手付かずで残っていて、綺麗な碁盤状の都が作れるのは不自然です。

古墳は残土の有効利用という側面が大きく、これだけ広い土地を真っ平らに整地したら余った残土はどこへ??大規模な開拓を指揮したおおきみや王子を讃えるために自然発生的に作られた古墳、日本の不自然に整えられた洪積平野や扇状地にポコンと綺麗な小山がありますが、アレほぼ全部古墳です。それが無い京都って…?ちなみにこの疑問は三方原台地にもスッポリ当てはまるんですが。

記紀の地名にツジツマ合わせて、街をデザインし、日本各地の伝承に知らんぷりしつつ京都を1000年都市に仕立て上げる。全く壮大なファンタジーに皆さん付き合っているわけです。オトナですよねぇ。

プライドだけは高く、これといった名物も産業も無い京都の人たちから平安京以来の日本の中心という幻想を取り上げたら多分泣いちゃうでしょうから。

 

流石に弱いものイジメみたいで後味が悪くなってきましたが…

別に私は京都人に嫌がらせを受けたとか、京女にフラれたわけではありません。散々クサしていますが。

ただ、足繁く通った祇園の八坂神社の威容、荘厳さたるや、津軽岩木山神社の足下にも、いや足下に転がっているリスに齧られた松ぼっくりにも及ばないのが全てを物語っていると思います。

そんななのにどこに行っても基本的に人が多くてイライラするんです…そしてパヤパヤした観光客が邪気を撒いていくため、良くなるはずが無い。

多くのいい歳をした観光客達は「京都=なんか良い」という集団催眠から抜けられないのだと思います。

その証拠に、小中学校で京都奈良を修学旅行で訪れたという方、どれだけ寺社や風景を覚えていることでしょう。覚えているのは宿坊で食べた夕食の粗末さ、級友達と夜通し恋話をした思い出、八つ橋って思ったほど美味いもんじゃねえなオイ、そんな所でしょう。余計な知識の無い子供だからこそ、本当の価値をすぐに見抜くのです。

大人になるにつれ、やれ京都いいよねぇとか東山がぁ~とかいう知識人につられて、なんか京都知ってた方がカッコいいんじゃね?と思って行くようになり、なんと無くいいなぁと思い始めた頃、京都料金の湯豆腐なんか食べようものなら「いやぁヤッパ京都の豆腐は違うねぇ」などと知ったかぶりの一つもぶちたくなるもんです。

 

というのも私の知人が大津の出身で、京都にも仕事によく行っていたので連中の始末の悪さ、地域差別の凄まじさには閉口していたというのです。

知人は滋賀から東北大学へ進み、のんびりとした人達と過ごしたため、社会人になってから知る京都人の酷さがなおさら衝撃的だったことでしょう。

 

それも仕方ない面もあります。

 

なにせ京都洛中の人々は、我が家が御所からどれだけ近いか、どれだけ古くからそこに住んでいるか、それだけで人の価値を決めてしまう残念な価値観が全て。

なんと言うのか忘れましたが日が暮れて寺の門が閉まると、鬼やお化けが跳梁跋扈すると割と本気で信じています。

それゆえ、私の知り合いがグループで京都を歩いていた際、ずっと人がついてくるため『何か用か』と聞いた際、『片割れ時を過ぎて怖くて帰れないので、勝手ながら後を歩かせてもらいました』、と言われたそうな。

他にも小学生の通学路を毎日変えるとか、子供まで利用した呪術呪詛がそこかしこに工夫された街なのです。

そこまでしないと、厳重な結界で幾重にも張り巡らされた京都の街はいとも簡単に次元の切れ目に迷い込み、キサラギ駅みたいなことになってしまうのでしょう。

京都が爆撃されなかったのは、世界支配構造の主要ポストを占める京都皇統のお膝元、という以上に、飛行機で侵入しようとしても全く別の所に飛ばされるんじゃないか?という説もあります。モハヴェ砂漠あたりに。

 

以上、つらつらと不平不満を述べてきましたが、これも全て京都を始めとした陰謀ひしめく黒い都市に住む人たちを案じ一人でも助かってほしい

 

などという高尚な気持ちは一切ございません。

ご存知の通り私は性格も良くありませんし好き嫌いも激しい。

神にまつろわぬ怠惰と飽食を貪る現代人達に人の道を説こうなどという偉そうな立場にはありませんし、私もいつ神に見放されるかという不安のもと毎日生きております。

暇でもないの6000字にもなるそこそこの長文をダラダラ書いて自らの無智無学無思慮を曝け出す意図は自分でもわかりませんが、もう良いのです。全てが。

 

あるべきものが、あるようにあるだけ。

日月神示にも書いてあります。

人を助けるために自分を犠牲にするのは悪である。

自分も楽しく世の中のためにもなるのが結構だぞと。

だから私は嫌いなものはハッキリと言う。

そこから意見の衝突が起きなければ、私も発見がないし進歩が無いわけです。

人との折衝を避けた結果、日本がこれだけの偽善国家になったと私は考えます。

屋外でも、周りに人が居なくてもマスクを外せない不審者天国になってしまった日本の病理、それはコロナ怖い ではなく 世間体怖い なのです。

人に迷惑をかけない と言う美辞麗句に隠された本心は“自分だけは非難されたく無い”。

偽善です。事なかれです。見て見ぬ振りです。

これでは当然21世紀になろうがイジメはなくなりませんし、第3次大戦も不可避でしょう。

 

 

はぁ

 

 

とはいえ、ね。

自衛隊に入った時点で死を覚悟していました私は、それまでの人生が十分幸せだったと思ったからでして。

原発の釜が吹き飛んでも生きているのが不思議でしたが、それもまさに神のみわざで生きながらえていることを確信した結果、なおさら死への恐怖はなくなりました。

奇跡的に、例外的に預かった命。

神のみ心から逸脱した際は、喜んでお返しするのみです。

難しいこと考えずに、盛岡の冷麺くいて〜!

徳島ラーメン食いて〜!!

だからもうちょっと生きるわーー!!

そんな程度でいいのさぁ(*´ω`*)

京都まで行くほどの価値はないけど、松葉のにしんそばはまた食べたいのさぁ(*´ω`*)(*´ω`*)(*´ω`*)