三遠南信 Part3

 

Part1の最後の写真でもチラリとお伝えしたように、浜名湖北岸は皇室と縁の深い場所です。

井伊谷宮は陛下も時折訪れられ、夏休みともなれば保養所も無いのにプリンス岬へ、三ケ日の畜産農家秋篠宮殿下が訪れると翌日にはそこが火事になる始末。

 

井伊といえば大河ドラマにもなった井伊直虎

おんな城主という事で無理やり大河ドラマにしたなぁという感も強く、三浦春馬君の配役にもなにやら作為を感じるドラマ。

そもそも去年の大河で北条氏、今年の大河は家康。静岡が随分と全国ネットで取り上げられる様になったものである。

地元愛がそう思わせているんだという批判は受け付けない。なんせ私は静岡県が大嫌いだ!!!

今や全国区の知名度となったハンバーグさわやかも発祥は遠州地方であり、静岡市はもちろんのこと東部の人間には全くソウルフード感ないにも関わらず、御殿場のさわやかは6時間待ちとかいう狂気の沙汰が起きるほどのムーブメント。あんなモンを何が悲しくてシンデレラ城以上に待って食わにゃならんのだ!サイゼリアのハンバーグでも食ってろ。 

 

 

静岡で少女といえば、まず思い浮かぶのは清水のちびまる子ちゃん

ところで清水と書いて岩手や山形ではなんと読むかご存知でしょうか。

湧き水という意味で、清水と書いてスズと読むのだとか。

https://www.oricon.co.jp/news/2060994/

対して特徴もない容姿なのにメディアに引っ張りだこなのは、名前のお陰でしょうかね。少なくとも私は全く顔が覚えられない。

 

マルコでスズ。

作中でよく言及される清水の二郎長も、ヤクザというのは作られたストーリーで、本当は高貴な血を引いた方だったと関係者から聞いています。

そして静岡市西部には丸子と書いてマリコと読む地名があり、トロロ汁が有名。

トロロ&トロ遺跡。遠州にはシトロと読む地名が2箇所もある。となりのトトロシトロエン(ハヤオの愛車)。静岡調査に赴いた際、大崩から駿府城まで、小一時間フランス結社のシトロエンに追跡されたのは楽しい思い出。

マルコとトトロ。紅の豚と隣のトトロに挟まれた地域が静岡市であり、家康の愛した駿府城なのです。

 

こじつけどころかただのアイデア帳である。忘れてください。

 

ただ、静岡の名前の由来となった賤機山(しずはたやま)浅間神社主祭神木花佐久夜毘売である点には留意が必要。

静岡は鈴岡?

そしてしっかり賤という字を当てて少女神を貶めるのにも余念が無い

スクリーンショット 2023-02-18 11.23.55.png

 

そしてサザエさんの母親であるフネさんも沼津の出身という設定だそうな。

おそらくフネさんは三島と言いたい所だったのだろうが、露骨すぎるので沼津にしたのでしょう。かつ沼津は徳川の拠点。

三島といえば三嶋大社。言わずと知れた大山住と事代主(三島大明神)を祀る神社。朝鮮王家がここに別荘を構えた理由はこれである。

 

私の直感では大三島も後付けで、こちらが本当の三島では無いか?と見ています。

これは大三島にも行った私の完全なる直感だが、おそらくカギは神津島にある。

 

 

遠州から幾分ズレてしまいましたが、Part2でお見せした天竜川の画像に、山住神社というマークがしてあったことにお気づきでしょうか。

 

この山住神社、名前の通り大山住が祀られている神社なのですが、険しい山々を抜けた峠に鎮座する、非常に何かを感じさせる神社で、神道吉田流がわざわざ養子を寄越す程、祭祀を扱う者にとって重要な地点である事がうかがえます。是非水窪民族資料館と併せて直接行かれては如何でしょう。

 

浜松最北の町、水窪(みさくぼ)からトンネルを越えたら小和田という駅があり、徳仁陛下の結婚が決まってからは大いに湧いたようですが、あながちただの偶然、験担ぎという話では終わらなそう。

 

なにせ水窪にはフェニキア文字が刻まれた水窪石という物も見つかっているほどなのです。

 

フェニキアの女神といえばディードー。カルタゴ建国の神にしてピュグマリオンの妹といえば無視はできない。

ディードー - Wikipedia

女だてらに国を起こし、地中海を我が物とする海洋国家を起こしたディードー。

やはり海洋民族にとって巫女の託宣は死活問題であり、陸地を知らせる鳥とともに太陽神として崇められる、世界の民族神話に通底するテーマとして残る理由がそこにあるのでは無いか。

土屋太鳳映画初主演作をここで撮ったそうな。知らんけど



南北朝時代、吉野に落ち延びたと言われる南朝天皇も、吉野ではなく三河遠州に来たのだろうと私も考えています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%90%89%E9%87%8E%E6%9C%9D

 

三遠南信の山々を旅していてもあちこちで南朝の皇族ゆかりの地を見かけるし、井伊氏の始祖はその時代に生まれたキリストであったという説もある。

水窪にかつてあった高根城。南信濃阿智村に葬られたという尹良親王南朝後醍醐天皇の孫にして、母系の血は井伊氏とされる。

タカネ、アチ…浜松のミシャグジ&アラハバキ混淆エリアである麁玉(あらたま)地区にも高根山があり、金刀毘羅神社には尺地社もあれば天目一箇神も祀られ、高根神社には古墳まで残っている。

 

猿田彦=アジスキタカヒコネ説を補強してあまりある程の結びつき。

天照大神最高神として民を支配したいという支配者のプランには絶対に邪魔な存在である古代日本二朝鼎立時代のもう一人の王ホアカリ。

しかし民衆としては真の王を無かった事にするのは良心が咎める。そこで猿田彦という蔑称を用いてでも、忘れないように後世に残したというのは充分に考えられる。

 

 

とにかくこの、浜松以北西の山々は何かが違うのです。

 

松平氏のルーツでもあれば、豊田市から南信濃根羽村までも車で一時間ほどという距離感であるし、そもそも遠州に生まれた豊田佐吉挙母町(豊田市に改名する前)に本社を写したのも、少女神エリアである三遠南信の山々を知らないと説明ができない。

 

 

今のように個人で時計を持てなかった時代、時間を知るためには洋の東西を問わず、時を告げる鐘。

鈴を鳴らしつつ街を徘徊する不審者サンタクロース。

大きな音をたてるなら角笛でも太鼓でも良いはずなのに、何故金属を打ち鳴らす必要があるのか。

 

製鉄技能集団、猿田彦一族は何を求め日本中に椿を植えて回ったのか

 

 

 

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銅鐸の記事の書きかけを見つけ、なんとなく書き足してみたところ、(案の定)このようなまとまりの無い文章になりました事を心よりお詫びいたします。

 

難しいことはさておき今回は、

 

ドラえもん=鈴とタイムトラベル

サザエさん=女系社会と三島溝杭

ドラゴンボール=猿

ちびまる子ちゃん=すず

クレヨンしんちゃん春日神

ワンピース=海人族、少女(少年ジャンプのトレードマークに

 

国民的アニメと呼ばれるものほぼ全てに、これら猿田彦周辺の血統を貶める&仄めかす内容が含められている、いやだからこそ面白くも無いのにメディアがプッシュするというのがお分かりいただけると幸いです。

面白くないのに売れているお笑い芸人の筆頭にバナナマンがいますが、日村と設楽のコンビですね。

設楽といえば三河の山奥であり、ご存知のようにバナナ=877=1000ー123(天皇)=皇后

映画スケアクロウでもアルパチーノの元嫁がバナナキングという店を経営しておりましたが。

 

徳川の隠れ里でもある新城、鳳来寺山悪魔崇拝トヨタが関わっているのは間違いなく、『俺らは少女神を抱えているんだぞ!!』という徳川並びに奥の院の虚勢の現れが、これら作られた日本の流行と言っても過言じゃないんです。やれやれ。

 

 

 

ーーーーーおまけーーーーー

↑これ、水窪民俗資料館に貼ってあった日本地図なんですけど…

おかしいですよね?

完全に上下逆に貼ってあるのです。

能登半島デカぁ!!!!!

 

係員のおじさんに告げても最初はキョトンとされていて、よくよく見て「あぁー本当ですね」ですもん。

今まで何百人という人が視界に入れたはずの上下逆の日本地図に、誰も違和感を感じなかったのか、感じても指摘する勇気が無かったのか。

そんな誰かのウッカリエピソードですが、中央構造線が真近に走る水窪で、誰かのウッカリ&数百人のウッカリが私が来るまで日の目を浴びなかったというのも、ウッカリを通り越した何らかの意思が働いていると思えてならないのです。

ともあれ、水窪、佐久間周辺は道路もできてアクセスも良くなりましたし、古代に思いを馳せつつ、断層巡りも良いもんですよ。

 

 

三遠南信Part2

 

 

三河遠州こそが伽耶だった!?!?

 

伽耶という国に馴染みが無い方のために整理しますと

 

私たちが歴史の授業でも習ったように、日本が古墳時代大和時代だった頃、おとなり朝鮮半島は三国に分かれていた。

百済高句麗新羅の三国の影に隠れ、伽耶or加羅(日本名:任那)と呼ばれる連合国が存在し、最近の発掘成果や歴史認識の見直しから、朝鮮三国時代を朝鮮四国時代と改めるべきという声が唱えられるほど。

 

カヤグムのカヤもここから来ております

そんな伽耶の代名詞といえば鉄であり、現在も鉄鉱石の採れる鉱山を従える伽耶地域は鉄製品が山のように出土する地域。

アラガヤに比定される咸安の博物館には都合二度も訪れたことがあり、直後に大阪堺の博物館で見た馬鎧はアラガヤのそれと全く同じやん!!という印象を受けました。

 

国際空港も置かれている金海も名前からし金官伽耶伽耶連盟前期の盟主)があった場所だろうとされ、伽耶6国の王達が降臨したクジボン龜旨峰の山こそがクシフル岳では無いかと日韓の歴史研究家にもよく言われているところ。

 

しかして国際空港を従える釜山は今でこそ韓国第二の都市であり貨物船の寄港地としても日本を抜いてアジアのハブにならんとするほどの成長を見せていますが、かつては漁村しかない寒村でありました。

江戸幕府倭館(ウェグワン)と呼ばれる大使館に相当する10万坪もの施設を設置したのが1678年。現在は山上に釜山タワーが建てられ、ナンポドンやチャガルチ市場は観光客がひきもきらないエリア。古書店街もあり、韓国軍年鑑を探しに奔走したのも懐かしい。

上記の写真は海抜20m以下を白塗りにしたもので、古代の海岸線の想定図。マッドフラッドなのかなんだかわからないが、地球規模のなんらかの変動が起きて現在の海水面は5から場所によっては20メートル以上上昇したと私は見ている。そうでないと説明できない事が考古学的にも歴史的に多い。そうすると見事にアラガヤは内海に広がる豊かな海上都市であった事が窺える。おそらく玉名盆地も古代はこうした内海が広がっていたのだろう。

そんな日本に厳然たる影響力を持った任那の入り口にして鉱山が豊富にあった洛東江と古代内海の守りの硬さをよそに、歴史の表舞台から忽然と消え、近代まで忘れ去られていた韓国南部の伽耶エリア。

古都と呼ばれる場所が往々にして打ち捨てられ、現在は誰も住まない所になることはままあるが、日本を間近に見つめる海沿いでそんな事があり得るのか??

その後の朝鮮史の中心は慶州や開城や、北方に政治的中心が置かれて久しい。またあれだけ揉めた倭との関係も、やれ契丹だモンゴルだ、外勢の脅威は常に北及び西に向けられ、時々倭寇が東、南海岸を荒らしたと歴史書に残るのみ。

 

そう、私は記紀百済本紀、魏志倭人伝等の歴史書の記述から当然のように比定されている伽耶=韓国南部という図式が、実は三河遠州だった!という可能性が40%ぐらいはあると割と真面目に思っています。

なにせ、伽耶=日本説というのは韓国の学者でも提唱しているケースがあるぐらい。神功皇后49年に皇后が遣わした荒田別と鹿我別が征服した多羅国は、韓国では無く佐賀の太良である!というのはかなりいいセン行っていると思います。なんせ鹿島市のすぐ南!

 

豊橋=鉄の街

 

伽耶三河遠州を裏付ける材料に、豊橋は高師小僧が有名な地。

高師小僧は葦の根元に鉄分が付着したもので、そもそも豊橋の高師原から名前をとっており、かつて豊橋市南部を埋め尽くしていた湿地帯にゴロゴロとあったそうです。

またビリーバンバンじゃないか。



そんな高師原台地と天伯原台地からなる渥美半島の根元付近。現在は国道23号が整備され海沿いエリアの交通が非常に便利になりましたが、走っていると大きな○○が目につきます。(実はここも銅鐸と密接に関わる場所ですが、ちょっとやばいのでメルマガにてお伝えします)

今でこそ便利になったとはいえ、かつては陸軍の大きな演習場が作られたりするほど誰も住んでいなかった場所に、〇〇を作って人を呼び、△△△△教の□□□まで作られると言うのは…

 

鉄鉱石が取れないとされる日本ですが、これだけ巨大な褐鉄鉱が湿地にゴロゴロ転がっているのを見て、これを何かに使えないだろうかと思うのが人情。

縄文土器は実は製鉄用の坩堝(るつぼ)だったのではないかという説があるぐらいで、現に発掘現場では縄文土器に鋳鉄がこびりついているものが発見されたと聞いております(当然表には出せないでしょう)。

更に言うと最新の発掘では吉野ヶ里よりも早く稲作が定住した地域は伊勢、それも鈴鹿周辺であるとか。

紀元前4世紀に鉄と青銅器が同時に渡来したとされる日本で、5世紀に鉄の国内製造が始まるまでの約1000年間、各地から出土する鉄製品や古墳の埋葬品は全て朝鮮や大陸から輸入された銑鉄から作られたという定説、これは逆に無理があるのでは??

神社の分布から見て海抜10メートル以下を透明にした豊橋。銅鐸エリアも近い(湖西市白須賀)



青銅の川、天龍

 

また青銅は国内製造が早く、前1世紀には銅と錫(スズ)の合金である青銅が作られたと言われています。

 

ここで錫が出てきましたが、錫の原子番号はなんと50。

スズで50。

そう、伊勢神宮を流れる五十鈴川

製鉄民を率いて入道ヶ岳の水銀利権を抑えた猿田彦一族の痕跡は鹿の椿大神社が今に伝える。

耐火断熱レンガ、るつぼといえばイソライト。

ひいては神武天皇の正妃である媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいそすずひめ)を想起せざるを得な

い。これが全て偶然だろうか??

 

金官伽耶を建てた金首露の妃はインド人

卑弥呼チャム人説

遠州袋井はベトナムとのコネクションもあれば、蒲郡はカボチャが初めて日本に流れ着いた伝承もある。

名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実ひとつ。古代における東南アジア、ひいてはインド交易の最大拠点は三河遠州だったのではと私は考えています。

 

 

銅鐸に話を戻しますと、三遠周辺で見ると恵那、中津川で採取される錫。さらには浜松近く、ギリギリ長野と言う天竜川流域の神原も錫が取れたという。そこには飯田線小和田駅がすぐ近くにある。

小和田氏山形県西村山地域に多くお住みのようで、紅花が名物。なんの縁なのか寒河江で紅花の種を仕入れた事のある私も、家系のルーツに村山がある。

 

更に天竜川には秋葉山下社の目の前にかつて存在した峰の沢銅山(信州まで繋がっているという伝説)と、巨大銅鐸を作る上での材料は申し分ない。とにかくデカイ。この辺の銅鐸。

暗示するように浜松市天竜区にはオリハルコンの釜と呼ばれる淵があるらしい。古代ギリシャ語で“山の銅”と呼ばれるオリハルコン。日本では伝説上のヒヒイロカネがそれに当たるといわれていて、実際に山の専門家達はそれを独占し、今もその技術は限られた山師集団によって密かに利用されていると知人から聞いています。

 

武田の金山衆は金が取れる山は光って見えたと言いますが、実際に現代の山師も動物的な臭覚か第六感なのか、なんの変哲も無いように見える山に入ってはレアメタルと思しき物を掘り出し、特殊触媒用や特殊合金用に高く売ったり怪しい機材を自作しているそうです。基本的に世のためになることはしてないんですけど。

 

続く

三河、遠州、南信濃に残る伽耶の痕跡と銅鐸 PART1

 

三遠南信道路とは

 

突然ですが三遠南信という言葉をご存知でしょうか。

河、州、南信濃を合わせた地域名で、それぞれ愛知県東部、静岡県西部、長野県南部に相当し、秋葉街道と伊那街道を通じて結びつきの深い地域と言われています。

実際に浜松市民が茶臼山(長野)までスキーに行くこともあれば、豊川稲荷(愛知)に参拝したりと、同じ県である静岡市よりも身近な存在に感じる人も多い。少なくとも沼津や伊豆よりはよっぽど親近感があるのは間違いない。

 

そんな地域に、中央構造線にほぼ沿う形で高速道路を作る計画が目下進行中なのです。

しかしご覧の通りの不自然な遠回り。既存の国道151号を拡幅すれば距離も短くて費用も抑えられるのでは?と思われるでしょう。これには〇〇〇(政治的理由により伏せ字。メルマガにてお伝えします)を通したいという思惑も強い。皇室絡みです。

ただでさえしょっちゅう崩れる青崩峠兵越峠を従える中央構造線沿いの峻険な山を削り、谷を埋めてまでわざわざ遠回り。かつ利用客はそこまで期待できない。さらにはトンネルなのか橋なのか、伊良湖岬から伊勢まで繋げるという無茶としか思えない構想もまだ残っているとか。

 

高速道路=軍用

 

これに似た無茶な道路があります。〇〇市と〇〇を結ぶ〇〇〇〇自動車道がまさにそれ。実際に通ってみても、利用者もまばらで、不自然に高規格でトンネルも高い。完全に戦闘機格納用のシェルター、いやアレなら中型爆撃機も格納できるぞという構造になっています。中央分離帯もほぼ無く、真っ直ぐな区間はそのまま滑走路になる。

そして高速道路ですから、雪だ台風だと理由をつけて閉鎖してしまえば、高い橋脚上では何が行われていようが下から全くわからない。第3次大戦時は首都圏爆撃用のロシア軍機あたりを格納しておくという運用を想定していると予想できます。ただでさえ〇〇は外国人部隊が多く潜伏している場所です。それを暗示するように大きなローマ字の交差点名標識がやけに多い。

 

国防の観点からも道路の整備は本来国家事業で行われるべきであり、滑走路にもなる韓国の広い高速道路や、橋を爆破崩落させて戦車の進軍を防ぐ機構を見てきた私から見た場合、道路開発をほぼ民間に丸投げしている日本の状況は国防意識皆無の、全くもって異常な姿なのです。

この国の政府はとにかく責任を取りたく無いというのは、今回のコロナワクワク騒動でもよく理解できたことでしょう。こすっからいニッポンセイフが、需要不明な無駄道路や不透明な金の流れを追究されないためにそれらを民間が勝手にやったテイにし、そのための規制緩和が官僚の仕事です。

悲しいのは土建屋や地権者に金が入り、利用者も便利になることを求めて反対らしい反対運動が起きない事です(あっても握りつぶされますけど)。かようにして日本の神聖な山々はあなぼこだらけに。

 

三遠南信道路の真の目的は

以上を踏まえ、御巣鷹山周辺の不自然なダム整備や、林道に突然現れる戦車も通れる規格の道路を見てきた人間としての三遠南信道路の目的は、中央構造線をとにかく掘りたい、軍需品および兵力の輸送、地下基地への直結道路の整備、つまりは日本焦土作戦。というのが図星でしょう。やれやれ。

さらには、伊勢湾をぐるっと囲む方にも意味が、というより

これ以上はこの時点ではお口にチャックだ。

 



 

遠州は特殊工業地帯

 

イメージ無いかもしれませんが浜松は工業の街です。

光学機械のホトニクス(ニュートリノを観測)、ヤマハ、スズキの発祥の地にして本社所在地。

さらには本田宗一郎豊田佐吉もざっくり浜松が出身でありますゆえ、ヤマハスズキホンダトヨタと、誰かしらこれらの車&バイクを所有したという方は多いでしょう。

私が住んでいたベトナムもバイク天国。今でこそホンダがぶっちぎりでシェア首位を独走していますが、オシャレさではヤマハエンスーはスズキを選ぶという派閥も。出身地を聞かれたとき、あなたのバイクが作られた街だよ、というと親近感を持ってもらえます。

 

そして浜松といえば楽器。

 

世界のピアノのトップ1、2シェアを占めるヤマハ、カワイも浜松の会社で全て同市で製造されていますし、音楽業界全体の世界シェアで見ると1位はやはりヤマハですが2位は電子楽器のローランド。

フェンダーギブソンといった有名楽器メーカーを差し置いて、世界の楽器業界トップ3は全て、浜松に本社を持つ会社です。

ローランドに至っては創業地の大阪を捨て、市内から離れた不便な地に本社を移しています。何故??

 

浜松が楽器の街になったワケ

 

ブラタモリ解釈に従いますと。

暴れ天竜が作った自然堤防で綿花を栽培していた浜松は機織りの町として栄える

近代になって自動織り機が発達する

織り機の製造修理技術が天竜川の杉材の質と水運の利と相まってピアノ製造に繋がる

現在航空自衛隊の基地がある三方原の台地上に日本初の爆撃機基地(陸軍)が作られる

楽器製造の技術が航空機のプロペラ製作に転用できたため、戦中の贅沢品扱いにもめげずピアノ製造技術が枯れることなく発展して今に至る

 

と、もっともらしいことを言っていましたが、織り機からピアノ製造に至った経緯が無理があると感じるのは私だけでしょうか。

ヤマハを創業した山葉寅楠が輸入オルガンの修理を初めて手がけたのが1887年。その翌年である1888年には日本最初の本格的オルガンの製造に成功した。(※wikipedia調べ)

いくら機械の扱いに長けていたとはいえ、近代音楽の素養があったとも思えない下級武士の3男坊が、たかだか1年で、見よう見まねで、オルガンを一から作るなんという事ができるものでしょうか?。

 

結論から言うと無理です。普通は。

 

韓国を引き合いに出しても仕方ない事ですが、あの国がシャーシ等日本の供与を受けず、完全オリジナルで自動車が作れるようになったのは2007年ごろのことだったと記憶しています。

 

私が韓国の冬季オリンピック誘致プロジェクトに関わっていたときのこと、氷を削って飛ばすだけの単純な韓国産人工雪製造機が、1台壊れ2台壊れ全部壊れ、日本製の雪製造機1台だけで広大なスノボ会場の雪を作っていたのが2009年。現場の重機も現代重工とか書いてあるが、よく見たら塗装に塗りつぶされたTADANOの文字現場に飛び交うドカタ用語。

あぁこの国は日本の技術無しでは何にも作れねぇんだなと思った物です。

しかしそれが普通の国なんです。

 

鉄砲伝来から国産化までが異常に早い国ですよこちらは。

 

音楽都市浜松の起源は2000年前から!?

 

この謎を解くカギ、それがなんと銅鐸だと私は思うのです。

 

銅鐸。皆様も小学校で習ったことでしょう。

なんのためにあったのか、多分祭祀用だろうぐらいの研究成果しかなく、それでいてやけにデカイ、謎の古代遺物です。

 

紀元前2世紀から紀元後2世紀までの約400年の間で作られ、現在まで発掘された総数は500ほど。

西日本に多く見られる近畿式銅鐸(通称サザエさん)に対し、三遠式銅鐸と呼ばれるツルッとしたタイプが三河遠州静岡県西部&愛知県東部)地域では60点が発掘されていますから、中部から西日本にかけて広がっていた銅鐸文化の中では重要なポジションを占める地域と言えるのが浜松と愛知県東部。

私が注目しているのが、漫画宗像教授でも言及されていた、荒神谷(こうじんだに)遺跡の大量出土です。

ここで荒神という単語に注目せざるを得ません。私の見立てでは荒神谷の銅鐸はフェイク。

他所で発掘され、秘蔵されていた銅鐸を当時の地層にわざわ埋めた可能性があると見ています。その理由として

ニセ出雲=島根

真・出雲=三河遠州

の真相を隠すために銅鐸文化の重心を西にシフトする、さらには○○○を〇〇〇〇するための呪詛、ないし暗号報道であったと考えています。

当然、浜松の工業化を推進した原動力には真の出雲の痕跡を人目に晒さないためという付随的な目的があります。

島根県があれだけ発掘が進み古代史の街と言われ、産業が育たないのも逆説的に言うと重要な遺跡(壊さないと都合が悪い)が少ない=工業化を進める必要が無いという事でもあります。

もっとわかりやすく言うと

浜松記紀の歴史(官制日本史)にそぐわない発掘品だらけや!!工場や倉庫を作って隠したろ!!

島根やたら精密な金工品とか鉄剣出土しても韓国近いからまぁええか!!掘ればどっかしら記紀を補填する発掘品出るやろ!!都合悪いもん出て来たら村八分にして抹殺や!!!田舎根性は怖いのうwww

 

折しも浜松市北部、天竜扇状地の北端に宮口という地域があるんですが、知人の歴史専門家G氏によると、『あそこは完全に奈良ですよ!!』と興奮気味だったのが印象深い。さらには、『ここにアラタマっていう地名があるでしょ、ここはアラガヤですよ!』というのには私も目から鱗が落ちる思いだった。

そうか、アラガヤ、荒神信仰、アラハバキ、ここで繋がるかぁ~!!!

さらには先述のミヤグチはミジャグジ信仰。天竜川流域に諏訪神社が点在している点とも符合する。

 

堀谷アラハバキ神社に砥鹿神社のアラハバキ社、そして新東名が狙ったように通した山中の金刀比羅神社の摂社になんと尺地社。

そして火伏せの神として崇敬を集める秋葉神社もそのままアラハバキ。嵐の二宮和也もなぜか植樹している。二本も。

そして天竜🐉🐍

アラハバキミシャグジ がバッチリ組み合わさっているエリアゆえに、南朝の皇子も身を寄せ、井伊谷天皇家も足繁く訪れ、世界企業の創業者を排出する地にならざるを得なかったのは、こここそが伽耶だったから、というのは大胆すぎる仮説だろうか。

さらに、これは少し補足材料に乏しいのですが、天竜扇状地から三方原台地を登り、銅鐸大量出土エリアの谷を降りると細江町というエリアに入るのですが、その中心市街にあるのが指(かなさし)という集落。ローランドが本社を置いているエリアです。

アラガヤと官カヤ、伽耶連合の主要国がこの狭いエリアに二つ揃うわけです。

 

アラハバキ&ミジャグジ&銅鐸出土イメージ分布図

新東名の目的はアラハバキの封印か??

 

 

 

続く

 

炭焼き長者と百済王

この記事は2022年8月27日に配信したYOUTUBE動画 ”百済は大帝国だったのか…?そして少女神と魔女” にて言及したソドン(薯童)について簡潔にまとめたものとなります。

また、以前の記事で薯童にまつわる地域の旅行記がありますので、そちらも参照いただけると雰囲気をつかめるかと思いますよ↓

コリアウォッチVOL5。朝鮮三国時代に日本を見た!?中編。 - (元)情報本部自衛官が真相を語る?

 

ソドン서동とは

薯の童と書く通り、山芋を掘って生計を立てていた古代韓国は百済の男。それが百済の王にまで上り詰めるという、韓国版逆シンデレラストーリー。

1000年を超える時を経ても鄕歌として現代にまで伝わるその伝説は、近年にも同タイトルでドラマ化されるほど。

一見するとありえないそのストーリーを語り継ぐその理由は、また日本各地の言い伝えとの類似性は何故なのか

 

あらすじ

百済、金馬(グンマ)村…現在の益山市に、山芋を掘る男がひとり。人々からはそのまま薯童と呼ばれていた。

ある日、時の新羅の王である眞平と、王妃摩耶夫人との間に生まれた善花公主は美貌絶佳にしてお年頃であると聞きつけた薯童は、山芋を山ほど掘って新羅へと参じる。

善花公主を見かけた薯童はたちまち虜になり、計を案じた。

道行く子どもたちに山芋を渡し、こんな面白い歌がある、これを大いに歌って遊びなさいと言った。

善化公主主隱
(선화공주주은)
他密只嫁良置古
(타밀지가량치고)
薯童房乙
(서동방을)
夜矣夘乙抱遣去如
(야의묘을포견거여)

      (薯童謡)

...原文を当時の新羅語で読み下した場合、最後の一文の解釈が随分変わってしまう。

夘という字を묘, 現在の몰래として読めば夜にこっそりと (ソドンを)抱えて行くになるし、夘を卵の誤字だとすると夜に卵を抱えて行く

となる。

つまり日本語の意味としては

善花公主は人目を忍んで情を交わし、薯童の部屋に

夜にこっそり抱えて行くもしくは夜に卵を抱えて行く

 

となる。抱遣去如は性行為的な意味の抱くではなく、まさに抱える、持ち運ぶというニュアンスであるため、善花公主が男の薯童を抱えるというのは違和感がある。とはいえ卵を持って行くというのも何を意味しているのかとして研究家たちの論争は尽きない。

 

 

ともかくエサで釣って歌を吹き込んだ薯童の企み通り、新羅の王都中に善花公主の浮名がこだまする。

程なく眞平王の耳に入ると、あわれ善花は勘当され、なんやかやして薯童とめでたく結ばれる。

善花は家を追い出された時に持たされた金塊で何とか生計を立てていたが、薯童はあの黄色い塊がそんなに価値のある物だったのかと、善花を山に連れて行ったところ、金塊がそこかしこに転がっているではないか。

かくして金を売ってお金持ちになった薯童は百済の王様になり、金馬村に弥勒寺という百済一大きいお寺を建てましたとさ…

 

 

さてここまで聞いて日本の言い伝えに詳しい人だったら、

熊本では疋野長者

大分では真名野長者

と似ているな、と思われる事でしょう。

・姫が都から田舎へ行き、男と結ばれる

・男の故郷では金が山ほどとれる

・人望もあり成功する

という共通点。

この炭焼き長者譚は日本全国にあり、中国の少数民族たちにも類例が何十と見られるという。

しかし熊本と大分の長者伝説に通じているのは百済との縁が強いという点。

大分は三重町玉田の長者伝説を伝える古文書の一つ内山記には、百済の蓮乗法師や、炭焼きの前世が百済の僧侶だったりとか、一見すると無理矢理感すらあるほどの百済との結びつき。

熊本の長者伝説が残る玉名市といえば見事に百済式の江田船山古墳。

日本百済関係史を学ぶ上では避けては通れない古墳があり、そのまま川を遡上すると、またも大百済エリアの山鹿、菊池へと至る。

 

熊本は玉名

大分では玉田。

 

タマナという地名は百済がかつて外地に設置した檐魯담로に由来するという説がある。

現代ハングル読みではDAM LOが鼻音化して ダムノ に似た発音となるが、古代語は概してゆっくり発音する傾向があるため、タムル、タマラといった発音だった可能性は高い。

何故なら古い済州島の呼称を耽羅と言い、日本語読みでもタンラ、現代ハングル読みでもタナとなる。さらに屯羅、耽牟羅という表記も見られる。

屯という字はタムロと読むし、百済が駐屯した拠点にそうした地名をつけていたという百済研究家を笑い飛ばせる人は世間知らずである。

あの大帝国モンゴルのハーンが妻に選んだのも、まさに金馬村出身の高麗人であったし、中世までのあのエリアは世界の中心的な位置にあった可能性が否定できない。

ただそれが現在の大韓民国の南西部かと言われると、さぁそれはどうかな

 

参考

この地図は百済の前身である馬韓連合国の主要都市を記した地図

乾馬國は後の金馬村を中心とした馬韓連合の主要国と見られ、伽耶と接している点にも注目。大耶城の戦いは朝鮮三国時代の大きなターニングポイント

大耶城の周囲は多羅国に比定され、勾玉が大量に出土することから名付けられた大古墳群の玉田(オクチョン)。

外地に22もの檐魯を置き、その版図は遼西、山東半島に留まらず、中国を飛び越え東南アジアにも広がったとも言われる百済。それも22檐魯は漢城(現ソウル)を放棄し熊津(オンジン)に遷都した際の、いわゆる衰退期における梁書百済伝に見られる記録であり、漢城百済時代には50以上もの檐路があったであろうと推定される。

かたや耳(たんじ)・珠崖(しゅがい)の倭人伝説の残る海南島。その真西には久延毘古そっくりな伝説が残るベトナムのタインホア。

 

倭人の痕跡と百済の版図。この奇妙な一致は果たして偶然か…

アレまつりたけなわ!

若干関係者向け内容となっております

 

コロナ祭りにワクチン祭り、電力不足祭りにアベ祭りと、八方手を尽くして我々市民を楽しませてくれている政府関係者の方々には頭があがりません今日この頃。

 

先日こちらにお邪魔させていただいた不肖元インテリジェンス自衛官でございます

https://adoi.hatenablog.com/entry/2022/07/19/173205

 

種々の祭りに加えて、個人的に我が家周辺にも祭りを繰り広げてくださる関係者の皆様に対してのせめてものお礼として、不肖私がこちらの場所についてヒントを、いや詳細な住所をポロリしてしまうかもしれません。

ただ次回生放送までに材木町の坊主からの侘びがあればその限りではありませんが。

f:id:YoshihikoK:20220720234946j:image

縄文の息吹を感じる古代人の故地には豊かなため池が満々と水をたたえ、風力発電がせっせとクリーンなエネルギーを作っている情景には、古来より自然と調和してきた日本人達の精神性を今に伝えているようにも思えますね。

偶然にもこの地を訪れたのは海の日。祝日にも関わらず工業団地には各種車輌が行き交い、駐車場は満杯。工業立国ニッポンをささえているテクノロジーはどこから来ているのだろう?と浪漫に浸る、そんなクソ暑い海日和な1日でございました。

イカもまた爆発しておりました💣

 

悲しみの山口と百済朝鮮(ライブ配信補足)

今回もYOUTUBE生配信にお付き合いいただきありがとうございました。↓

www.youtube.com

スマート不穏の電池切れで突然の終了となってしまったことをお詫びいたしますが、これからもこうした手探り手作り低予算でお届けしようかと思います(>人<;)

3時間も動画見れねぇよ!というお忙しい方のためにも、伝えきれなかった事もあり、要点を簡略に(結局冗長になりました…)まとめようと思います。

 

田布施システムの嘘

明治天皇が山口の朝鮮部落出身の某に背のりされた、今の天皇はその後継者だ…という陰謀論界隈の噂。

はっきり言って韓国人(朝鮮人)にそんな力は無く、古代より連綿と続く封建思想が今ですら残っている日本で、そんなことは不可能です。こうべを垂れてしかるべき血統の人間にならいざ知らず、化外の人間(失礼)に武力等で支配されたからと言ってやすやすと従う日本人はあの時代いなかったでしょう。つまり田布施出身の人間が天皇に据えられたといっても、それで世の中は回っているわけだし、革命じみた大きな動乱も無かったことから、支配層にとっては天皇の国籍や出自などどうでもいい。と言ってしまっては多少語弊があるかもしれませんが。

小室圭さんが在日だと言っても、だからどうしたという話で。

国内では命を狙われる危険性を考慮し、血統を残す目的で皇統が半島に落胤を送ったと見ることもできます。

むしろシナだチョンだと国籍だけで人を差別する残念な方々より、韓国及び北朝鮮の方々の方がよっぽど節度があり、先祖を敬い和を尊んでいます。ぶっちゃけ血統的にも正統。

ネット右翼の大半は中年以上の(無駄に時間だけはあり、かつ成長の見込みが無い)自営業者が多いという古谷氏の調査はかなり正確だと思われます。若者もバカじゃないからそんな無駄な事に使う時間も労力もないだろうし、ていうか実際にそういう方を知っていますし…「俺は〇〇天皇の末裔だ!!」と言いながら労働基準法完全無視の薄給でパートの女性をこき使い、123便事件は俺が一番知っている!と言いながら外国人差別をする人が実際に居るんです。もちろん自衛隊内部組織やその他雇われで差別的なコメントをネット上に晒している人間も多数いますが。

確かに韓国にはウリナラマンセー的な人は居ますが、もちろん少数派でありネトウヨの人達と性根は同じです。自分は素晴らしい人間なのに評価されないのはなぜだ!政府が悪い!!いや、隣の国が悪い!!!

…けっきょくは同族嫌悪なんです。ほっときましょう。

 

“中国=日本の傀儡”説の裏付け

じゃぁ朝鮮人に支配させたもっと上の組織若しくは国がいるんだ、中国並びにロシアコミンテルンだ!!アメリカだ!!という意見もありましょう。

そこで私が動画でお見せしたあの発令書です。

赤ワク内が私の曽祖父の名前

 

私の曽祖父は上海でスパイをしていたというのは既にお伝えしましたが、なんと中国陸軍所属のスパイだったというのが文書でハッキリと残っていたわけです。今回法事で山口に行った一番の収穫と言えます。

そうなると、なぜ汪兆銘がフランス系の法政大学に留学していたのか、陸軍結社の中枢である浜松から、池谷姓の男(私の曽祖父です)が上海の旅館経営者に接触し婿入りまでしたのか。徳川とフランスの蜜月を知っていれば至極当然であるわけです。

当時日本人が多く住んでいた疎開地はフランス租界の目と鼻の先。森鴎外はじめ陸軍の偉いさんや日本の著名人が定宿にしていた旅館は格好の情報交換の場であったわけで、そこを徳川が狙った…というより、上海割譲自体が、2000年以上に渡る日本海人族=中国沿海部コネクションによる既定路線だったと見る事も可能。倒幕なんて出来レースですし。

また浜松周辺といえばスズキ、トヨタ、ホンダ、ヤマハといった世界に冠たる発動機メーカーの創業者を輩出する地であり、また楽器でいえばヤマハも世界のシェアトップ。そして電子楽器で売上を伸ばしているローランドも、楽器全体のシェアで世界2位なんですが、創業地の大阪から何故か、銅鐸の大量出土地である浜松北部の片田舎、都田に本社を移しているのです。なんのために?

ぜひグーグルマップでローランド本社をご覧ください。本社の近くにあるショッピングモールは、一体なんの形をしているでしょう…

ですので中国公安部の設立に日本が関与していたというのはまず間違いなく、それも徳川が大きく関与していた(であろう)ことの傍証を今回の山口詣にて掴んだことは大きな収穫でした、と。

 

利用されたのんびり山口県民と百済

山口はとにかく平和です。人も概して穏やかです。道が良いので運転は荒い方に入りますが、どうもあの土地は人に争いをさせる気を削がせてしまう何かがあるようです。

ゆえに医院を開いた親戚のi家は、初代は霊能じみた力で人を癒してしまうぐらいの能力者で、人柄も素晴らしい赤ひげ先生でした。しかし2代目の器はそれに遠く及ばずで、しかも山口で育ったもんですから人を疑うことを知らず、詐欺師に囲まれて存続の危機です。3代目候補に医師免許保有者はついぞ現れず、このまま老人ホームの入居者が居なくなったら廃業でしょう。

同じく今回の山口詣で宿泊した常盤旅館も、このご時世で必死な様子。

とにかく上の指示(県ならびに厚労省)にヘーコラしてマスクしろ、しないなら泊まるなと強気かと思いきやチェックイン時以外ノーマスクでも一切何も言って来ませんでした。ハッキリと形式だけって言っちゃう始末…なんだか可哀想になってしまいましたが、旅館のコンセプトもB級そのもの。

風呂の補修はしないで、高校生の卒業制作みたいな変なオブジェが飾ってあったり、やたらとくだらない表彰状が掲げてあったり、見事にとっちらかっている様子です。

金の使い方を知らないというか、長沢ガーデンに毛の生えたような温泉旅館でした。名物女将が引退したらもうダメでしょう。

ちなみに長沢ガーデンの社長もある意味大物で、「金はもう稼いだから、ボイラー壊れたら廃業だなぁ」的なやる気のなさがむしろ良いんです。昭和が残っていますアスコには。

知らんがな!とお思いの方には誠にごめんなさい。国道2号線沿いのふっるいドライブイン旅館で、古株のトラック運転手にとっては山口といえばココ、というオアシスでありましょうか。部屋の掃除は行き届いてませんが、メシは結構うまいんです。タコ焼きとか

 

そんな山口との縁が深い古代韓国の百済エリア

“漢江の奇跡を成し遂げたのはワシの力じゃあ”という長州のドンをして天智天皇百済人だったと言わしめる、大内氏の威光だったり百済人ネットワークが日本の政治経済の中枢に張り巡らされている事は、上皇陛下による百済人が先祖発言からもわかる。

ちなみに韓国国内では新羅というと高級ホテルの名前に付されていたりと誇りあるワードのようですが、百済というのはとにかく無視、いや忌避すらされている社会雰囲気を感じます。一時は現在のソウルも百済の領域だったというのに。地域差別も根強く、ゲリラの巣窟ということにされ霊峰智異山はことごとく焼かれ寺社は破壊され。

おそらく古代史で言うところの百済伽耶が言うなれば古くより残る正統出雲ならびに猿田彦家系であったり、唯一神ならびにアラハバキ、ミジャグジ信仰を継ぐ本来の日本の姿。

対する新羅や大陸の唐といった勢力が、そんな平和な日本を侵略すべく入ってきた外来勢力ということが言えます。太宰府に残る都督府古趾碑は、7世紀すでに日本は外勢に侵略されていたという物証と見て間違いありません。

後百済を建国したキョンフォンは、大ミミズと人間の女の間に生まれたという伝説がありますが、女性の家に夜這いしたとか、糸をつけて辿っていったらヘビだったとか、まったくそっくりな神話が日本にもありますよね? 蛇=ミジャグジ。つまり日本古代史に蛇というワードが出てきた場合、ほとんどの場合ミシマミゾクヒつまり強力な女系血統との接触を意味しています。

またアラハバキのハバ、ハハも古語で大蛇を意味しています。

ヤマトタケルの兄、大碓命も蛇に噛まれて死んだと言われていますが、間違いなくミシマ系と接触していることでしょう。継体天皇彦坐王(ヒコイマス)です

何しろ陵墓がなんと猿投山🐒、みシまる氏が重要視する香良洲神社がある愛知県豊田市に存在しているということでして…

 

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次回の配信では連続して、古代韓国南部に存在した伽耶諸国、日本では任那とされていますがその中でもアラガヤとタラガヤについて話そうかなー?と思います。

伊勢神宮といえば内外の二つありますが、それぞれ別宮という形で、別格に祀られている神社があるのはご存知でしょうか。

内宮別宮荒祭宮アラマツリノミヤ

外宮別宮多賀宮タガノミヤ

アラとタラ(ガ)

それは伽耶六国のうち常に二番手としてトップを補佐したアラガヤと、伽耶六国に属していないながらも、多量の古墳と勾玉を産し国境の要衝で新羅を睨むように存在していたタラ(多羅)国を表しているのではないか?

 

ミシマ一族の影が見え隠れどころかひしめいている伊勢湾周辺と豊田、アラハバキ信仰西限(砥鹿神社)にして三河南朝伝説の残る豊川、豊橋あと浜松。

またまだ三河遠州の霧は晴れない。次週乞うご期待!!!!

 

告知

お久しぶりでやんす。

昨日は突然のYouTube生放送にも関わらず、沢山の方にご覧いただき誠に恐悦至極でございます。

 

ご要望に応え次回も生放送を、同じく土曜日の夜10時から。6/11 2200 から開始しようと思います。

 

テーマは『公営マフィア、日本警察』という大筋の内容でお送りする予定です。

 

皆様のご質問、ご指摘、はたまた面白エピソードを期待しております(*^◯^*)